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牧師の想い - 「流れの初めと途上」(7)

「流れの初めと途上」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/9/13 1:10
† 終わりのない途上。
 イースターの日には、召天者記念礼拝を行っていたが、コロナ感染回避のため、この9月13日を召天者記念礼拝とした。私の人生の初まりは、この世に生まれた時だと思っていたが間違いだった。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました」エペソ1・4)驚くべき主なる神の、ご配慮の中に選ばれていた。それが私の始め(源流)である。小さな自分を見つめると、あり得ないと思うが、主なる神の叡智(エイチ)と憐れみの中では、その恵みと慈しみを信じる事が出来るのである。まさに主イエスに出会い、そのようにこの世に活かされてきたのである。人間とは「この世にまだ居るか」「この世を去ったか」の、二つしかない。地上での可視的な人生は短いが、主と共に生きる天での命は、輝かしい至福と歓喜の永遠の命である。キリストにあって世を去ることは、主なる神の与えた人間の目的である。惜しみなく、この世を去れる信仰の勝利を共有したい。

† 神は生きておられる。
 私達の神は、天地の創造者で、私達をご自身に似せて形づくられた方である。私達に大切なのは、名目的な言葉を信じると共に、主なる神は、私達には生ける神である。なんでも出来ない事がない神である(マルコ10・27)という、生きておられる神に実存することである。どんな境遇にあっても、どんな逆境に見舞われても、神の愛と神の力を心深く信じている事なのである。私達は変化して行く、世界も変化し、家族も成長し変化してゆく。この世では、何が起こるかわからない。それがどうであれ大事なのは、生きておられる神の力と、神の愛の中に居つづける事なのである。神は御言葉の如く生きておられるのであり、力ある神として私達に関わられる。主なる神は、ご自身の栄光のために、私達と関わられることを忘れてはならない。自己本位な生き方していると、主なる神は私達と関わることが お出来にならない。神は生きておられる。それが天地万物の源流(初め)であり、私の源流である。生ける神が何事であれ最初におかれることである。そして「私達は神の中に生き、動き、また存在しているのです」使17・28)信仰の途上を全うしようではないか。
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