トップ  > 牧師の想い牧師の想い >  「神が望み世が求める」(2)   

牧師の想い

牧師の想い -  「神が望み世が求める」(2)   

 「神が望み世が求める」(2)   

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/6/21 1:00
 † 私にはない。
 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう・・・・」生まれながら足が不自由な男にとって、生きるためには施しを求める以外に方法はなかった。現代も、生きることは、経済問題であり、金銭を求めて生きることが人の求めである。この物乞いの男も金銭の施しを受けることに全てがあった。私達もまた金銭を得ることを通して明日と未来を展望する安心感を与えられる。そのために聖書は「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じる。必要な賃金を得られる道であるからだ。働くことの神聖さは、主なる神がいまも働いておられるように、働くことが神の栄光として求められる。しかし、キリストの弟子ペテロとヨハネは金銭を持っていなかった。ただ、持っているものがあった。神の右に上げられた、イエスから注がれた聖霊である。何かもらえると思った男は、思いもしなかった最も重要な現実をもらった。立ち上がり、躍り上がって歩くことだった。今日の人々も金銭だけではなく、神である聖霊の命を必要としている。教会(私達)も大胆に「私達を見なさい」といい、与えられている聖霊の愛と力を現して行きたいと思う。

 † なんでも出来ない事はない。
 「イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」 マタイ19・26)イエス様も父なる神を信じる信仰によれば不可能は可能である。と言われ、神のしるしと不思議を実演(デモンストレーション)された。今日の私達はイエスの信仰を同じように信じる立場に置かれている。「神にはどんなことでもできます」という信仰は、そこから興ってくる。「聖書に書いてある」「イエスは言われた」と、いう揺るぎない根拠が私達の信仰を奮い立たせる。神には出来るのであって、私達には、いかほどの根拠もない。ただ、恵みにより憐れみにより信じる信仰があるのみである。自らが空しくなれば「神には出来る」と言う信仰は大きくなる。神様の望みは求める者に与える事である。聖霊様に餓え渇くと聖霊の満たしを与えられる。イエス様も聖霊を受けられて偉大な御業を行われた。私達にとっても聖霊こそが資産であり資源なのだから求めよう。聖霊に満たされる備えと、祈りを続けよう。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (108)

トラックバック

トラックバックpingアドレス https://www.fvc-kani.jp/modules/omoi/tb.php/714
牧師の想いカレンダー
« « 2020 7月 » »
28 29 30 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 1
Login

ユーザー名:


パスワード:




SSL
パスワード紛失 |


top