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牧師の想い

牧師の想い - 「果てを見る」(7)

「果てを見る」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/6/7 1:00
 † 地上での私。    
 いよいよ3ヶ月ぶりに会堂での礼拝が行われる。キリスト教は集う事が求められる。なぜなら、主なる神の約束は、教会である兄弟姉妹に向かっているからである。神の愛はキリスト教会(兄弟姉妹)に注がれる。兄弟姉妹全ての罪が赦され、愛し合うことが本質である。「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです」1ヨハネ3・14)個人主義的信仰は聖書にはない。教会に兄弟姉妹が集うことを通して神の愛と命と聖霊に満たされる。その恵みを共有するため一同に集うのだ。だからこそ、主イエスが真ん中におられ、全てを供給される。「また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです」1ヨハネ3・22)私達が神の愛をないがしろにし礼拝を軽んじれば、教会は中身のないものとなる。そのための牧師として立っている。地上での私は、神の御心に徹し、アブラハムのように旅人である事。偉大な神の都を喜び待望することだ。

 † 信仰の勝利を見る。
 「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい」ヘブル13・7)信仰者の結末にこそ、勝利を継承させるものがある。キリスト信仰のゆえの殉教者は、いまも続いている。彼らの揺るぎのないキリストへの信頼が、私達に命と勇気と励ましを与える。しかし、それは受けるだけのためではない。私達も信仰の勝利を証詞する「生活の結末」を求められているのである。神学者ボンヘッファーは、ヒットラーのナチスに捕らえられ1945年4月9日に殉教の死を遂げた。その死刑の直前に残した感動的な言葉が残されている「いざ、来たれ、永遠の自由への途上に繰り広げられる最高のうたげ。・・・・自由よ、われらは訓練と行為と苦難の中にお前を訪ね求めてきた。死に臨みつつ、いま、神の御顔の中に、お前(自由)自身を定かに見る」 信仰の勝利が謳(うた)われている。彼は、ゆがんだ世界を「真っ直ぐにする.」キリスト信仰を実行をした。私達も、置かれた所と立場で、キリストを高く挙げ、聖霊に満たされ勇敢に生きよう。
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