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牧師の想い

牧師の想い -  「果てを見る」(4)

 「果てを見る」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/5/17 1:10
 † この世の神との戦い。   
 「それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです」 2コリ4・3-4)福音に覆いを掛けているのは、敵である、この世の神(悪霊)である。日本の人々はキリストの輝きを、知る事も悟ることも出来ないでいる訳である。私達は、隣人に掛けられている覆いを、御霊の剣で突き破って、取り去り、見えなくされている目を開かせる働きが必要なのである。私達は知恵と知識において賢くならなければならないが、このお働きは、主なる神の成される御業である。第一に、神のお働きが求められ、祈られなければ達成されない。第二は、今の新型コロナにあっても、私達キリスト教会の一致した祈りが必要だ。聖霊なる神のお働きを求めるとともに、私達一人一人が「聖霊の宮」として、キリストに捧げる事である。この時のために信仰が与えられたのである。神の栄光のために、日本の多くの人々の救い(リバイバル)のために、神を崇め礼拝しょう。

 † やるべきことがある。
 「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです・・・・」使徒17・28)このように、私の今は「生き、動き」していることが存在を意味していることになる。私は牧師なので常に聖書を学び続け、祈り、話しもし、訪問し、人々と交わりもする。その最も願い求めていることは、神を知り、神を見るほどになりたいことである。しかし、それはクリスチャンならば誰もが求めていることだと思う。この世に存在する限り、やり続けることとして位置づけられている。なお、そのために多くの神の恵みについて語るべきこと、伝えるべきことがある。なお、そのために多くの未読の書物がある。また、次々と新しい真理に興味が湧いて研究したくなる。それが世に置かれた私達である。こうしてみると、自分の体調が守られる限りにおいて、同じことを、変わりなく続けて行くということになる。私達クリスチャンの果ては、尽きる事がない、ということである。未来は、しぼんで行くのではなく、広がって行くのである。
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