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牧師の想い

牧師の想い -  「果てを見る」(2)

 「果てを見る」(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/5/3 1:00
 † 私達への御心。   
 主イエスは私達のために、父なる神に祈られた「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします」ヨハネ17・15)主イエス様の救いの御業から考えるならば、罪から救われた私達が、直ぐに完全に父の御許に取り上げられることが望ましい。しかし、そうではなく、この世にあって信仰生活を続けることを望まれた。救われて間もない未熟児として父の御許に行くのではなく、私達が信仰を働かせることを通して成長し成熟して、父の御許に帰ることを望まれたのである。「悪い者」とは悪霊共であり、その手先となって欲望に生きる人々である。その人々のために、主なる神は、世の人々を愛する偉大な力を私達与えられた。私達が信仰生活をする大切な目的は、敵対する人々のために祈り、福音を証詞して、一人の滅びる人を救いに導くためである。この事を主イエスは全ての地上のクリスチャンに願われている。そのために求める者には、惜しみなく聖霊の恵みと愛の力を、注いでくださるのである。

 † 腹をくくる。
 私達はいつの時か、腹をくくる時が来る。覚悟をきめること、決意を固めることである。「腹」とは心、気持ち、気力、と言う意味である。ことの成り行き、果てを見極めて腹をくくる。私の友人は、末期の喉頭がんに襲われた。晴天の霹靂(ヘキレキ)まことに衝撃的な出来事であった。彼は大学病院で治療を受け一次的に治癒が見られたが、地元の病院に帰ってきてから、しばらくして容体は悪くなっていった。彼の娘さんから彼の最後の話を聞いた。彼は薬学に通じていたのだが、回復の見通しがないと腹をくくり最後を見切った。彼は、点滴をやめ、最後の死の訪れを迎え入れたのである。誰にもやってくる死を、自ら迎える決断をした彼の男気に敬服する。私の尊敬する先輩牧師は、召されることに臨んで日記に綴っておられた。「いよいよ自分の時が来た。とても厳粛なことだ」と、信仰にある多くの恵みの体験を与えられてきた。しかし、果てに来る死を体験していない。最初で最後の死の体験に対して、腹をくくる必要がある。御言葉と主の御業を通して、信仰により勇敢に迎えるために。
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