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牧師の想い

牧師の想い - 「果てを見る」(1)

「果てを見る」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/4/26 1:10
† 今からのこと。   
 「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」1コリント10・12)前節を見ると、世の終わりに臨んでいる私達への訓戒として、神につぶやいた者が滅ぼされたからだ、と言う。13節では「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」とある。今や新型コロナウイルスの脅威は、21世紀最大の試練となった。しかし私達の救い主は、脱出の道を備えてくださる。だからこそ「信仰にしっかり立ちなさい」と私達に活を入れておられるのだと思う。今この時を、最善の注意を払って生活しよう。信仰によって気力を充実させるなら、自ずから免疫力は生みだされる。「果てを見る」とは、終わりを見ることである。それは試練の終わりでもある。堅く信仰に立つとは、主イエスの真実に揺るがず信頼する事である。心を引き締めて、心くじけないように立ち続けて行こう。試練は私達を鍛えて強くし、勝利に結びつけてくれる。必ず、私達は幸いを勝ち取れる。

 † 新しくする。
 なにごとも最初がある。「はじめに神が天と地を創造された」創世記1・1)原初に、と言う意味となるが、「最も大切なこと」という意味も含むと言われている。この創造世界は神の意匠(イショウ)の偉大さを現し、神の栄光の御業を見せている。しかし、私達人間はこの麗しい地球上で、憎しみ合い、いがみ合って戦い続けてきたのである。自然も人間の欲望によって破壊され続けている。海洋の島々が潮位の上昇で消滅の危機に陥っている。・・・・地球の果ては「良し」とはならないようである。人々の貧しさの上に成り立つ経済や人々がある限り不可能と見る。私達日本人も飽食人種である限りは加担者の一員と言うべきだろう。主なる神の御前に最小限の贅沢を選び、生活を改め、始める事である。まずは神の創造世界に感謝して生きる人々を生みだすことである。私達クリスチャンが啓蒙者となって証詞が出来る事である。教会という群れを通して、地域や人々に大胆な証詞をする宣教の能力を現すことだと思う。
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