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牧師の想い

牧師の想い - 「直向(ひたむき)」(2)

「直向(ひたむき)」(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/3/15 1:00
 † 優先順位が要。   
 スポーツ選手の「ひた向きさ」は聖書にも出てくる。「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」1コリ9・25)ここでは「あらゆる事について自制する」事がひたむきさを物語っている。ストイックという言葉が日常的に使われるようになってきたが、まさに「自分に厳しくして欲望抑えること、禁欲的であること」である。一流というスポーツ選手やファッションモデルの方々は、まさにそのようにして生きておられるのである。それは、自分が最優先している目標があるからである。だからひた向きになれるのである。使徒パウロは「ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません」1コリ・27)という。決勝点が分かっているので、失格者にならないように「自分の身体を打ちたたいて従わせる」27節)と言っている。私達クリスチャンの決勝点は「わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つ」ロマ14・10)に置かれている。この世ではありのまま生きる事も罪では無い。しかし、私達に最優先順位があるならば、ひた向きな生き方に変わる。ひた向きとは、最後まで続ける。という意味を内包していると思う。

† 結果が伴う。 
 不条理な世の中にあって、真実は必ず通じる。と信じて生きることは幸いだと思う。「一念天に通ず」という「必ずなしとげようというかたい決意のもとにたゆまず努力すれば、必ず天の知り聞き入れるところとなる」と言うものである。これは聖書と通じる所がある。未信者でイタリヤ隊の百人隊長コルネリオ(使徒10・22)は、その誠実な生き方のゆえに、主なる神の御心に適い、神からの幻を与えられる。そして使徒ペテロが主なる神に指名されて、コルリオの住まうカイザリヤに赴く。そして復活のイエスの福音が語られると、異邦人の上に聖霊が下ったのであった。私は思う、日本には多くの誠実で敬虔な良心を持って生きておられる方が多い。私達が彼らに尊敬を現して近づくなら、主イエスも愛の真実を持って臨まれると信じる。彼らの一念が、まことの神に通じるのだ。そうなれ !
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