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牧師の想い

牧師の想い - 「うしろから前」(7)

「うしろから前」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/3/1 1:00
 † 刻まれてきた今。   
 私はあるときまで過去を忌まわしいもの、即ち、心地よくないものとして省みたくなかった。それは環境に対して、時代に対しての不遇さに対する心の反応だった。今、現在を生きている人々の中に同じような感覚を持って生きている人もいるだろう。しかし、キリストに出会うまでの話である。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」2コリント5・17)古いものが過ぎ去ると言うことは、古い忌まわしいとしか受け取れなかった事が新しくされることである。忌まわしいものが、輝かしいものになれば、過去も現在も新しい人生(命)になるのは当然である。しかし、今でも取り返しの付かない不出来な失敗を思い出すときがある。そのような未熟だった過去の自分を消し去りたい衝動に駆られる。その事で、キリストの憐れみと赦しを求める。それが無かったなら、私には生きた信仰はない。自分の罪や不出来さが十字架の血に潔められるだけではなく「十字架に死んでいる自分」を告白する。死んだなら、私に現れる命は、神の恵みと憐れみの他にはない。新しい命はキリストのものである。ハレルヤ!

 †  棄ててきたもの。
 人は成長とともに着ている服が替わって行く。世の中は進歩とともに機材が変わり、論理も変わってくる。古いものを愛(イト)おしむのはヨーロッパの文化だけではない。私達も新しい物を使ってはいるが、棄てきれないでいるものもある。最初に買ったカメラ(60年前)があり、24年前のワープロ(OASYS) 5インチFDのPC-9801 がある。実質として棄てたものがコレクションとなった。新しい本が山のように出版されるが、古い本は処分すべきであろうか?「ユダヤ処世術」M・トケイアー著)「貧しいときに売るのは金、宝石、家、土地。本は売ってはならない」「本は敵にも貸さなければならない。さもないと知識の敵となる」 棄ててきたものが多い中で「知性」を第一として來たユダヤ人のうように、私達もまた知性を増すため本を、本の中の本である聖書を読み(研究し)聖書に親しんで行こう。私達を無駄にさせている習慣こそ捨てるべきものだからである。
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