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牧師の想い

牧師の想い - 「うしろから前」(6)

「うしろから前」(6)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/2/23 1:00
 † 先発の御言葉。   
 先発の御言葉とは旧約聖書のことである。主イエスの福音の偉大さは、旧約聖書の内容があって際立って現されている。過去に主なる神が約束されたアブラハムへの祝福の契約、イスラエルとの契約は「主なる神の御名の栄光」のためである。主イエスを拒んだユダヤ民族は2000年間国を失った。そのため異邦人キリスト教会は、自らが主役のように感じざるを得なかった。しかし神のイスラエルに対する約束は近年になって顕著に現れて來たのである。1948年の建国は元より、世界の東西南北からユダヤ人がイスラエルに帰還している。出エジプトの時には250万人とも言われる。しかし、それ以上のユダヤ人が帰還してくるのである。そして、主イエスを信じるユダヤ人が迫害の中で激増している。聖書全体の約束は、ユダヤ人クリスチャンと私達が主イエスによって一つの身体(一人の人)になる事である。うしろの事柄が現実になってきた。私達は聖霊による主の証人として、使命を果たし続ければ、「世界を視野とし世界と交わる教会」として、立って歩めるだろう。

 †  先人に従う。
 私達は使徒の存在に負っている。主イエスの証人として命をかけて福音の真実を宣べ伝えたので殉教した。本物には命を賭(と)する価値がある。現代の私達が神の御業である福音に、お付き合い程度の信仰生活をしているならば、この後主イエスを信じる者達も、同じように、神とのお付き合いとしての信仰を持つのである。使徒は本物であったが、私達が本物のクリスチャンでないとするならば、福音の価値を引き下げることなのだ。「聖書に書いてある」と証詞するだけでは十分ではなく、「私は聖書に書いてある事を生きている」と言えるクリスチャンによって使徒達の信仰が見えるように、現代にも現れるのである。ウイリアム・ケアレーは世界宣教の扉を開いた。絶対に不可能と言われたインドに宣教したのである。有名な彼の言葉がある「神には偉大な亊を期待せよ」と、福音には命を賭する価値と力を認めないならば、ケアレーのような信仰の努力は生まれることはない。彼はインド語の聖書を生みだした。彼の功績はインドをヨーロッパと結びつけたことでもあった。ハレルヤ!
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