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牧師の想い

牧師の想い - 「うしろから前」(3)

「うしろから前」(3)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/2/2 1:00
 † 労苦の意味。   
 「私は日の下で骨折ったいっさいの労苦を思い返して絶望した」伝道の書2・20)ソロモン王が知識と知恵を尽くして到達する所は「空の空」伝1・2)であった。主なる神を知っているが地上の生とはどう言うものなのか?それは全ては「空」だと言う。次の御言葉は非常に興味深い「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ」伝2・21)このような事実は身近に幾らでもあることだ。父親は一代で会社を立ち上げ羽振りの良い地方では名士となった。しかし、息子は御曹司として育てられ苦労知らずで、会社の経営に乗り出したが、時代の変化に対応出来ず、会社は跡形もなく無くなった。先代がどの様に生きたか、即ち「骨折った一切の労苦」を土台として経営にいそしむべきではなかったかと思う。教会も地上で成り立つものだが、今日までの労苦と骨折りを忘れず、歴史を増し加えて行きたいものである。

 † 救われる前。 
 私達の成り立ちは、信仰以前と信仰以後に分けられる。受洗前の生活が受洗後の生活を左右すると言われたらクリスチャンでも、えー、そんなことあるー?と驚く。考えれば分かることだか、キリストを告白するまでの私の主人はサタン(悪魔)だったわけで、使徒パウロに言わせれば「・・・・空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました」エペ2・2)私の骨の髄(ズイ)まで、悪い霊がしみこんでいた。と理解した方が良い。それほどの影響力を受けていながら、主イエスの血潮によって「義とされた」のである。法的に悪魔から買い取られ神の子となったのである。救いは現実的に成就している。しかし霊的な私の実体としては受洗前(過去)の力が残像のように影響力を及ぼしていたり、明確な悔い改めをしていないために、暗闇の鎖(クサリ)に縛られたりする。無知は罪である。悪霊は、霊なので私達の思考の園に入ってくる。受洗前の生活(うしろの出来事)を明るみに出して、光りに変えられる時に完全な自由と解放の喜びが生まれる。「明らかにされたものはみな、光だからです」エペソ5・14)光りの子供になろう。
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