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牧師の想い - 「知恵による収穫」(7)

「知恵による収穫」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/1/12 1:10
  
 † 見通す知恵。
 暗闇の向こうに光りを見る。そのように生きられたのが主キリストであった。人として世に来られたが、ご自分の民は味方ではなく、行く先々で迫害した。あげくのはてには、罪を着せ十字架に追いやった。主キリストを人としてみれば、好ましい生き方ではない。主キリストが、このような自らの人生を受け入れられたのは、現実の向こうに見えている栄光の輝きの真実があったからである。私達も主なる神の創造世界にありながら、今は不遇であっても、必ずもたらされる光りがある。希望が実現するという「見通し」があると言うことだ。世界が今どの様に動いていようと、自分の置かれた立場や状況が暗闇のように好ましくなくても、主キリストの持たれた信仰(見通す力・知恵)が、あたえられている。今、生きている事を有意義に出来るのである。今、闇の中を通っているか?主キリストのように歩もう。トンネルの向こうには出口の光りが待っている。「・・・・暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め」イザヤ50・10

 † 恐れてはならない。
 私達が神を畏れることと、教会を愛する者であるならば、何も恐れる事はない。人生において神を畏れることが最大の知恵である。そして、教会を愛する事は人生の健全さを獲得する知恵である。キリストの花嫁としての教会は、主なる神の最大の関心事である。まことに神を畏れる事が出来ているならば、神の愛される教会を尊び愛する事が出来る。そこには多くの家族がいて笑い、喜び、キリストの恵みを分かち合い励まし合う。聖霊の働かれる交わりこそ神の国である。主キリストに自らを委ねるということは、キリストの教会に委ねる事と同じである。その幸いとはなにか?キリストの身体、愛の交わりの教会には真実があるということである。本当に心配してくれる愛人(クリスチャン)がいてくれることである。神を畏れる信仰があるキリスト教会の交わりこそ、あなたの最大の慰めとなり、あなたの祝福となる。それが幸いとなる知恵なのだ。神を畏れることと、教会を愛する事には、あなたへの大きな報いが備わっているのである。
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