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牧師の想い - 「知恵による収穫」(4)

「知恵による収穫」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/12/22 8:40
 † 先を読む知恵。   
 時代が変わる時とはいつなのか?それを待つことがあり、待たずして変えてゆく事がある。織田信長は三百年遅く生まれるべきだったと言われる。その時代とは天保の改革(1841)の年代であり、 オランダ国王からは開国勧告をうけフランス、英国、アメリカの艦船がやってくる時代である。1849年には漂流民の音吉(ジョン・M・マトソン)が通訳として英国の商船で日本に来たが艦船と間違えられ日本の砲撃を受けて帰還した。この音吉と宣教師チャールズ・ギュツラックによって最初の日本語聖書「ギュツラック訳聖書」がマカオで作られていた。1858年(安政5年)日仏修好通商条約が集結締結された。こういう時代に信長の知恵があったなら、日本の近代化は違った形になった。と言うわけである。信長が世界に類を見ないた改革者だったわけは伝統に固執せず、世界を目指していたことだと言われる。

 † 人生の柱を持つ事。
 聖書を読むばかりでなく大切なことは「信じ切る」ことである。大方の人は自分の領域(知性や感覚)で神を査定し、信仰を査定している。要するに自分の土俵の中に入れようとしている。賢く見えて外れた知恵である。神の土俵の中に飛び込む「神を信じ切る」と言う冒険がないならば、神に導かれる幸い、即ち、神に支配される幸いが体験されないと思う。私には人生を支える三つの御言葉がある。一つは詩篇37・5「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」・・・・信仰生活の初めから、自分の未熟な判断や決断に頼らず、時間(期間)を主イエスに委ねて、主が成し遂げられる事を待ち望み、信頼し続けるのである。これは私にとって神からの知恵である。主イエスが私にそうするように促された。それは御言葉の通りであるし、私の性格に最も見合ったものである。信じ切る(主に委ねる)とは、神の土俵から飛び出さないと言う事である。私にはなんでも出来る自由があるが、最大の自由は、主なる神の可能性の土俵の中に、留まることを選ぶ自由である。
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