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牧師の想い

牧師の想い - 「繰り返し繰り返す」(6)

「繰り返し繰り返す」(6)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/9/29 1:00
† 成長を喜ぶために。
先日隣接する小学校の運動会が秋晴れの中おこなわれた。この小学校は私達の教会設立と同時に建設され、今や岐阜県下で最も児童数の多い学校となった。来年六人目の孫がこの小学校に入学する。今日まで八回の運動会と、これから六回の運動会を祝う事が出来るわけだ。健康が守られ成長する事ほど大切なことはない。過酷な残暑の中、運動場で練習をする子供達を見ていたので力一杯走り、演技をする姿を見ると正直嬉しい。学校と先生方に感謝の思いが湧いてくる。そのようにして運動会が無事に終わった。このように運動会は一年間の集大成として行われ、多くの父兄に披露される。一昔前は父兄が集って見守る学芸会が毎年行われた。父兄や、祖父母が子供達の成長を喜び見守るように、私達もまた教会に繋がり成長を見守る主なる神がおられる。私達が大きくなった子供を喜び、進級ごとに成長を喜こぶように、主イエスは私達に寄り添い成長させておられる。子供達は毎日学校に通い教えられそれを復讐して自分を成長させている。私達も教会で学んだことを、成長に結びつけて行く努力を怠らないようにしたい。

† 礼拝を繰り返す意味。
 この世において聖なる国民(1ペテ2・3)として選ばれた人々がキリスト者である。この人々は毎週教会に集い礼拝を守る神の民である。礼拝を守るとはどう言うことか考えてみよう。第一に主イエスが教会にあって求めておられることは私達が成長する事である。聖書は成長とは「造られ」ていくものであって、生まれるものではないと考えている。要するに人間の成長とは長く困難な旅路であり、ある週末にいっぺんに起こるものではなく、一生掛かるものであるとする。教会は救われるためにはありのままで良いけれど、礼拝は居心地が良いばかりではない。御言葉は私の隠れた偶像を明るみに出して踏みつけたり、自分の拝んでいる偽りの神々を暴かれたり、自分の虚偽が真理の光りに照らし出されて痛みに耐えがたいときなどがあるのだ。そんな時に教会を避けて生きる方が賢明だと思ったりする。成長するためには毎週礼拝を守り、不愉快や、苦痛に直面する事もある。教会は礼拝者に向かって、神の恵みに満たされ、神の栄光を現す証人になる事を求める。そのために真の成長を求めるのである。
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