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牧師の想い

牧師の想い - 「引き出される」(1)

「引き出される」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/7/7 1:10
† 中身を知っている者。   
  机には「引き出し」が付いている。好いところは外からは中身が見えないことである。そこに、へそくりが隠されていることもあるし、秘密の宝が入れてあることもある。要するに、持ち主だけがそれを知っている事になる。しかし私の持ち物であるのに私にはわからない事がある。それは、私自身と私の身体のことである。特に身体(内臓)に、今なにが起こっているかわからない事が多い。痛みもなく気分が良ければ健康だと思うのである。友人のことだが宴席で喉に詰まりを起こし病院に行ったのだが、末期の喉頭癌だと告げられた。それまで彼はタバコのせい、酒のせいだと思い込んでいたようである。さて、私自身と身体は神によって造られたので、私という存在は自分では未知の「引き出し」の中に隠されているのである。「主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる」詩103・14)造り主(神)のみが、私に関わる全てを知り尽くして、この世に引き出して役立つようにされる。また、100年の月目までも生きよと愛の御手を延べられるのである。

† 不遇から引き出される。
  「ロッキー」という映画制作を担当した監督や音楽家達が裏話を語っていた。当時、無名の俳優C・スターロンが脚本を書き、主役を演じる。テレビドラマ一本分の100万ドルという予算しかなくディレクター無しでの製作となった。移民のアメリカ人に差別的な社会と貧困の環境の中で生きる人々に「希望・愛・生きがい」として制作された。誰にも希望がある。誰にも失われない愛がある。それが見事に映画になり世界中に感動を捲きおこし、全ての賞を総なめした。無名のスターロンは一躍本物の俳優として二重写しの快挙となったのである。この栄華の裏話は尽きることがないが、泥沼から優雅な蓮の花が咲くように、どんな中にも失われない愛、価値、生きがいが生まれるのである。「ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい」 ヨハネ1・46)この御言葉のように求めさえすれば誰にでも最善に出会うことが出来るのである。
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