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牧師の想い - 「時代と労苦」(7)

「時代と労苦」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/6/30 1:00
† 悪い時代の中にいる。   
  悪い時代と善い時代があるのか?と問うことがある。私達は聖書の観点から推し量ることになる。主なる神は正しい忠実な下僕が治める世を祝福された。例えばノアには洪水の危機を逃れ新時代への箱舟を示唆された。アブラハムには信仰による世界祝福の基を据えられた。現に私達は信仰により神の祝福の中に住んでいる。しかし、イスラエルの歴代の王達には不実な者が多く、その治世は平和と繁栄から引き離されている。さて、聖書の「悪の世」であるが「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです」ガラ1・4)この悪の世界とは人間のことである。神の救いの中だけに生きることを由としない。信仰を表に出さず、世の人々が皆している事は受け入れ、声を出して反対しない。世と妥協して生きるのが悪い時代なのだ。「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう」1ペテロ4・17

† 労苦の最たるもの。
  言うまでもなく人間を滅ぼす「罪の報酬である死」ロマ6・33)から人間を救い出す事業である。そのために主イエスは私達の身代わりとなって十字架に掛かられ死なれた。死を恐れる事なく生きる人間の悲劇は、世の栄華に封印されて見えない。しかし、神の裁きの恐怖は計り知れない現実となる。救いに無関心な日本人のために福音宣教が最大級の必要事業である。人の救いに無関心でおれる信仰というものが、教会に浸透しつつある。自己関心が表明できる交わり中心の教会へ変化しつつあるのではないか?教会は囲(カコイ)であるが、主は「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」ヨハネ10・16)と言われている。それは私達の教会の外にいる多くの羊(残りの民)が、私達の福音宣教を待っているのである。これが死すべき人間の世にとって最大の労苦なのであり、私達は特選の民として、この宣教事業に召されているのである。
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