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牧師の想い

牧師の想い - 「結果と原因」(2)

「結果と原因」(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/4/7 1:00
† 考える通りの実がなる。   
  「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです」マタイ12・33)主イエスが植物学を教えておられるのではない人間の現実的な「結果」を言われたのである。主イエス様が下さる救いやも恵みは誰に対しても変わりはない。問題は受け取る私達にある。また聖書には「四つの畑」マタイ13・5)の話がある。蒔かれるいのちの種には変わりがないが、畑に問題があるとされている。「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ」8)木が良ければ、と言われていることも同じ意味である。考えが善い人(木が良い・良い畑)と、されている。頭が良いとか能力がある事とは別のことである。私達は罪の赦しを受ける十字架に目を向けている。また復活の勝利を確信している。ハレルヤ!しかし、信仰の実を豊かに百倍にまで結べることに目を向けたい。自分の内容(思考)を主イエスの血潮で清められ、神の生命を豊かに育む良い木に、良い畑になろう。

† 勝利が結果となる。
  「主の聖徒の死はそのみ前において尊い」詩116・15)人間の死は、生きてきた結果である。全ての人の死が間違いなく起こる中で、キリストを信じて戦った聖徒の死は、特別に尊いのである。人生がどんなであろうとキリストに覆われた人の死には特別な意味がある。第一に、その人は完全な勝利者である。キリストに在り続けた人が授けられる勝利とは、身体の甦り(復活)である。また、その人の死の瞬間はキリストによって永遠の生命への誕生の時となるのである。これがまことの人間の現実である。主なる神が天地を創造し、人間を神の像(かたち)として創造された。しかし人間は遠く主なる神から離れ去った。だが、今やキリストを通して主なる神に立返り、信仰により死に至るまで生きた人は主なる神の絶大な称賛を得る。尊いとは、そういう意味である。死に至るまで信仰に留まる事が勝利を結果として受け取れるのである。
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