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牧師の想い

牧師の想い - 「立たされている」(7)

「立たされている」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/3/24 1:00
† 尊い使命がある。
  人体の生命は、60兆個を数える細胞が支えている。働き続けてくれる細胞達に感謝の思いを抱く。先刻の報道によれば、小六の女子二人がマンションから飛び降りて自死した。胸が押しつぶされるような悲しみに覆われた。どんな事情があったのか?どんな苦しみとや悲しみが、この子達をおそったのか? 誰が、人間は生きるべきである。と、教えられるのか? おそらく、幼くして自死を選んだのは、生きる使命となる世界観が示されていなかったのだろう。勉強が出来て明るい子である事が全てではない。私は小学五年の時「少年よ大志を抱け」という名言が教室に掲げられていたが、大志をいだけない自分に躓きを感じた。十九歳になってようやく救い主イエスに出会って、自分にも尊い生きる使命がある事が納得できた。子供達に聖書の真実な世界観を持たせたい。まず、私達は尊く創られていること。神の出来事の中に私達が生かされていること。を、私達はその叡智を持っているのだから、小学生に福音を伝える必要がある。

† 立たされるものになる。
  主イエスの受難の時期である。 ゲッセマネの園で主イエスはイスカリオテ・ユダが引導してきたローマの兵士に捕縛された。そこには主イエスが最も愛された三人の弟子(ペテロ・ヨハネ・ヤコブ) がいた。主イエスの最重要時に共にいて祈って欲しかったからである。他の十二弟子は招かれなかった。もちろんそれ以外の弟子達は知るよしもなかった。最も愛された三人の弟子も悲しみの余り眠りこけて祈る事も出来ず、主イエスは一人で苦悶し十字架の重荷を背負われたのであった。これらの一連の事を通して教えられていることは、主なる神は私達をこよなく愛しておられる事には変わりはないが、身近に置く者を選んでおられるということである。折しも過越の祭の時であって多くの主の弟子達は過越の食事の料理を楽しんでいたのである。現代にも同じ事が言える。主イエスに、私と共にいてくれと呼びだされる事を望まないか?・・・・見えざる主イエスに忠誠を誓い、主の御声を聞こうと静まっている人は誰か? 呼びだされ立たされる人は貴くまた幸いである。
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