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牧師の想い

牧師の想い - 「立たされている」(5)

「立たされている」(5)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/3/10 1:00
† 死の前に立つには。
  元気であると言うことは、今日までの元気を同じように生き続けることのためである。しかし、それだけではないことに気付かされる。元気であると言う事は、元気でなくなる時があると言う事だ。突然の身体の異変で死に直面せざるを得なくなることもある。妹のことだが経過検診で病院で見てもらったら、なんと緊急入院を言い渡された。突然死の可能性があるという「肺塞栓症」で集中治療室に入れられた。幸い経過が良く直ぐに一般病棟に移ることが出来た。60歳の若さで病と闘いつつ主に召された兄弟の葬儀を執り行った。生きているという事は、元気であるとか病気であるとか、普通であるとか「とどのつまり」死の前に立たされているのである。人は死の問題を先延ばしして考えないように生きているのではないか? 自分の人生の季節を様々に麗しく振る舞っても「トド(ボラの最終名)のつまり」は死なのだから、唯一、死を克服できる十字架と復活のキリストを人生の基礎にすべきである。それ以外の基礎は、やってくる死に押し流されてしまうからである。

† 信仰は勝利。
  聖歌514番「ひかりの高地に」の折り返しに歌われる「信仰は勝利、信仰は勝利、信仰持てよと悪魔に勝たん」まさに信仰に立たされている事を喜ぶ。悪魔は100%神を知っていても「神を信じる」信仰を持たないのである。私達は信仰に立つがゆえに、この悪魔に勝つことが出来るのである。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」ヘブル11・6)人生に十分というものがあるだろうか?世界を支配するほどの資産とその権力を持つ事だろうか?そういう人が何人かおられるそうである。「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです」マタイ13・12)これは法則なので世界はそうなっている。しかし私は余り関心がない「神に喜ばれ神の報いをうける」以上の幸福はないと思うからだ。また、それ以外を知りたくもない。信仰は人生の勝利だから、ますます喜んで信仰に立って歩みたい。  
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