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牧師の想い

牧師の想い - 「立たされている」(4)

「立たされている」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/3/3 1:00
† 裁きに立ち尽くせる。
  自分の救いの確証を御言葉に置く事は正しい。御言葉に頼る以外に確信は持てないからである。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」ロマ10・10)また「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」1ヨハネ1・9)このほかに救いの約束の御言葉は多い。このような約束に従って安心して居れるのは事実である。では、それだけであとは問題がないのか?それが大切な問である。救いを信じて30年、50年それ以上の信仰生活を送るのが当たり前の「人生100歳時代」となる。長い信仰生活のために聖書の読みを深める必要がある。「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません」マタイ5・20)また「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです」ヤコブ2・13)十字架の義に救われた私達に必要なのは「裁きに立ち尽くせる」主の愛と義の実践生活に目を向けるべきだと思う。

† 信者の時代認識。
  社会歴史上の今日この時は、6000万人が死んだ世界大戦争のあとの「ポストモダン」(進歩主義や主体性を重んじる近代主義や啓蒙主義を批判し、そこから脱却しようとする思想運動)の時代である。・・・・人間の叡智が神に代わって平和と繁栄を創りだせるという理想は、木っ端みじんに吹き飛んだ。そして今人類はまたもや同じ過ちに向かいつつある。「ボストモダン」の危険性は、宗教や霊的な事がらに関して特に、客観的あるいは絶対的な真理を全く認めないことである。神の真理に回帰すべき所をあえて拒むのである。その世界的な風潮は大人の世界のみならず子供の世界にも入り込んでいている。快楽至上の人間主義、隣人を顧みない保護的な個人主義が無意識のうちに「考え・思い」という霊性となっている。自分を最優先する、それが国家となり、世界との関わり方となってきた。しかし、主なる神の現実は世界の完成に向かっている。聖書の約束(預言)がこの世界の完結に急接近している。今この時、世界が起こす事件(出来事)は、神の思うままに動いて行くのである。私達は神のご計画の進捗の中に立って世界を知り、その時を認識出来るのである。  
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