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牧師の想い

牧師の想い - 「立たされている」(1)

「立たされている」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/2/10 1:00
† 立たせられる。
  私達全ては主なる神の前に立つものである。それは主なる神が私達一人一人を立たせてくださっているからだ。しかし、そういう理解は日本人の中にはない。上司のパワハラに耐えられなくなって若い警官が拳銃を発射してしまった事件が起こった。・・・・私は「神に立たせられた」自分で立っているのではないという後ろ楯がない場合「目には目を」という反応的な行動が、人を突き動かすのである。世の中のシステム(組織・仕組み)は保全のため身分や権限を与える。神の前に立たせられた事を知らないならば、いたずらに権限の力で支配したいと思うだろう。モーセは最高のリーダーとして名高いが彼の人となりは「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」民数2・3)謙遜とは柔和のことである。250万人以上のイスラエルの人々を奴隷状態から解放するためエジプトのパロ(王)の前に立ったのである。人類史上最も大きな不可能を可能にしたのは「神に立たせられた」故である。私達も神に立たせられて生きれば100倍の実を結ぶと約束されている。

† さまざまな場面。
  「人生色々」という歌があった。思いも掛けないどんでん返しが、良につけ悪しきにつけ巡ってくる。しかし、どの様な季節(子供の頃、思春期・・・・)にも思い起こすとき感じることは「神の選び」という真理である。日本人は100%近くが神の選びを知らないまま過ごしている。私もその一人だったが、芽生えがあったのである。このままでは生きるには足らないと思い新約聖書を買い求めた。「信仰雑話」(主婦の友創始者石川武美が著者)も買い求めた。聖書に言う「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました」エペソ1・4)・・・・神に目も心も向けないとわかってこない真理だと思うが徐徐に大きく広く深くなる。私達の髪の毛までも数えられている不思議と同じく、生まれる前から神に知られ「選び」に(私が)立たせられていたという驚きである。それは神の前に「立たせられて」生きている事で本当だと思えるのである。
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