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牧師の想い

牧師の想い - 「こだわりを持つ」(2)

「こだわりを持つ」(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/12/30 1:10
† 神は神である。
  神が神であることは当たり前のことだが、私自身を静かに考えてみると、時と場所によって、またさまざまなシチュエーション(立場、状態、事態、形勢 局面)で神を神としているかを問うと曖昧さが見え隠れしている。それが人間というものかも知れない。しかしそこに甘んじてしまえば大変ご都合の良い人間だと思うのである。奴隷のヨセフが女主人に強引に言い寄られた時、ヨセフは神を神として義の行動を取ることが出来た。日本には「据え膳食わぬは男の恥」という諺があるが、これに従えばヨセフにはこの上ない据え膳であった事になる。日本人は今、男も女も状況や局面に流されやすくなっている。クリスチャンであるならば、ヨセフを見倣いあらゆる立場や場面で神を神として義の道に立ち神の聖さを現したい。なぜなら主なる神はそういう人を尊く用いられるからである。

† おもねない判断。
  おもねるという事はどう言うことか? 気に入られようとする事、へつらう事である。これが私の内にあるとするならば、真理に生きるという事はたちまち困難になる。その根幹には「私が自分にへつらう」という心理があるからである。自分にへつらう者は人にも大衆にもへつらう。今の時代において教会が変貌しつつある。それは神中心から人間中心になりつつあることだ。これを劇場型教会とも評されるが、中心が会衆(人間)に向かうということである。劇場でわかるように役者は観客の拍手(評価)に向かっている。教会は主なる神と御言葉に向かうべきなのに、会衆にサービスすること変わりつつある。アメリカの教会が衰退しつつ在るのはこのためである。人や会衆におもねない「神を畏れる」教会にこそ活路が開かれるのである。その福音主義のために人が去ったとしても問題ではない。
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