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牧師の想い

牧師の想い - 「こだわりを持つ」(1)

「こだわりを持つ」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/12/23 1:30
† クリスマスのこだわり。
  ある都心の教会では、クリスマスの礼拝には信徒よりも未信者の方が大勢を占めるそうである。喜ばしい一面ではあるが、救いを求めてやってこられるわけではない。日本人はクリスマスをイエス様を祝う祭りのように感じているわけだ。すると牧師は思いきった御言葉を語るクリスマスメッセージが出来なくなると言う訳である。イエス様も群集には、ご自身を任せられなかったが、かれらを追い払うことはされず、そのままにされた。しかしながら、クリスマスにはこだわりがある。「喜びの訪れ」が、あなたに「知らされる」ルカ2・10)という一大事であるということだ。私達は、なんとかしてクリスマスシーズンを通して、一人の人が救いに至るように奉仕に励んでいる。それでも誰も主を救い主として受け入れないかも知れない。それでも日本人が最もイエス様に近づいているこの時期に「喜びの訪れ」を「知らせたい」と切に思う。

† 一つだけだ。
  こだわりのある人とこだわりのない人という問題も含めて、改めて自分を叩き台にして考えてみたい。「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」ルカ10・42)これを主イエスが語られたことを根幹にしたい。人によって信仰の内容が違ってくるわけだが「こだわり」が大きく関係していると思える。ある著名な牧師から「あんたはこだわる方か」?と、尋ねられたことがある。その時、私の返事は「こだわる方ではない」といった覚えがある。私の感覚では「幹の部分と枝葉の部分は違う」という理解である。主イエスもマルタにむかって言われたことは、大事なもの(事柄)をわきまえるようにしなさい。と言われたに違いない。教会や信仰の問題で見られることは、枝葉に属する事柄で根幹を揺るがすような事件にしてしまう傾向があるからだ。これを霊的な問題としてわきまえるためには、その人の霊を見分ける事と、知識や知恵によって主イエスを崇めるように対話することだ。
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