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牧師の想い

牧師の想い - 最新エントリー

「うしろから前」(1)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/1/19 1:00
 † 赤子から赤子へ。   
 人の人生を総じて、人は赤子に戻ると言う。私の周りにもご高齢の方々がおられる。私の義母は今年100才になるし、85才以上のご婦人、93才の男性もおられる。聖ルカ国際病院院長でもあった日野原重明先生は、100才でも現役の医師として活躍された。先生の談話や講演は何冊かの本にもなっている。先生は言われる、人は赤ちゃんとして生まれ、首がすわった。寝返りが出来た。立った。歩いた。と成長の変化を大喜びされる。そして、人はしばらく生きて赤子にもどって行く。歩けなくなり、立てなくなり、寝返りが出来なくなり、首が曲がらなくなる。かっての出来事の逆を辿り赤子となるのである。人はうしろを忘れて前に行くが、前からうしろに帰ってゆくのである。これが人間の道程である。自然の美学であると思う。私達は神にありながら、そうなる事を健全に受け止める生きた信仰を求めたい。そして老いてなお祝福を受ける歩みを求めたい。「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた」創世記24・1

 † 今だけの事と人。
 人間の暮らしに大きく関わる経済の話。先日のプレミアム番組で特集されていた。世界大恐慌、オイルショック、リーマンショックと経験した世界は予測不可能な明日に向かっている。と言う訳で一瞬にして札束が紙くずになる事がありうるのである。 人間は誰も明日のことは分からない世界に生きているのだ。特に顕著なのは過去を振り向かない(歴史を重んじない)現代人が、ビッグデーターや 人工知能[AI(artificial intelligence)]で明日を予測しょうとしている。これもまた「空の空」 に繋がるというのである。人間は経済学においても過去(歴史)と言う「うしろ」が重要であると言うわけである。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない」 伝道1・9)私達が持つ聖書は神の聖霊が書かれた歴史書でもある。6大帝国下(最後のロ-マ帝国は終末の時世)に、わたっての教訓と知恵は、明日という「前」にむかって、これ以上のものはない。神の思い(計画)と、これまでの経緯を学ぶ事は、経済的豊かさを凌ぐ、人間のまことの豊かさである。
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「知恵による収穫」(7)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/1/12 1:10
  
 † 見通す知恵。
 暗闇の向こうに光りを見る。そのように生きられたのが主キリストであった。人として世に来られたが、ご自分の民は味方ではなく、行く先々で迫害した。あげくのはてには、罪を着せ十字架に追いやった。主キリストを人としてみれば、好ましい生き方ではない。主キリストが、このような自らの人生を受け入れられたのは、現実の向こうに見えている栄光の輝きの真実があったからである。私達も主なる神の創造世界にありながら、今は不遇であっても、必ずもたらされる光りがある。希望が実現するという「見通し」があると言うことだ。世界が今どの様に動いていようと、自分の置かれた立場や状況が暗闇のように好ましくなくても、主キリストの持たれた信仰(見通す力・知恵)が、あたえられている。今、生きている事を有意義に出来るのである。今、闇の中を通っているか?主キリストのように歩もう。トンネルの向こうには出口の光りが待っている。「・・・・暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め」イザヤ50・10

 † 恐れてはならない。
 私達が神を畏れることと、教会を愛する者であるならば、何も恐れる事はない。人生において神を畏れることが最大の知恵である。そして、教会を愛する事は人生の健全さを獲得する知恵である。キリストの花嫁としての教会は、主なる神の最大の関心事である。まことに神を畏れる事が出来ているならば、神の愛される教会を尊び愛する事が出来る。そこには多くの家族がいて笑い、喜び、キリストの恵みを分かち合い励まし合う。聖霊の働かれる交わりこそ神の国である。主キリストに自らを委ねるということは、キリストの教会に委ねる事と同じである。その幸いとはなにか?キリストの身体、愛の交わりの教会には真実があるということである。本当に心配してくれる愛人(クリスチャン)がいてくれることである。神を畏れる信仰があるキリスト教会の交わりこそ、あなたの最大の慰めとなり、あなたの祝福となる。それが幸いとなる知恵なのだ。神を畏れることと、教会を愛する事には、あなたへの大きな報いが備わっているのである。
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「知恵による収穫」(6)   

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2020/1/5 8:50
 † 無から有を呼びだされる神。
 「・・・・彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」ロマ4・17) 神の全能が讃えられているわけだが、神の計りがたい知恵を言い表している。ネブカデネザルの息子ベルシャツァル王が1000人の貴族達のために大宴会を催し、酒の勢いでエルサレム神殿から持ち出した金の器で王のみならず側室や次女まで、ぶどう酒を飲んだとある。その時、人の手の指が現れ王宮の壁に「メネ、メネ、テケル、ウ、パルシン」の文字を書いた。ダニエルはこれを解き明かし「あなたの治世は数えられ終わった。あなたは秤で量られて目方が足りないことが分かった。あなたの国は分割されメディアとペルシャに与えられる」とベルシャツァル王に伝えた。歴史はその如くに動いたのである。ダニエル7章)この神の全能を真摯に受け止めたい。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」箴9・10)

 † 知恵の応用。
 ある医師の語る事によれば「塗り絵」は子供のものではないとのことである。脳の活性化のためには年配者も塗り絵が有効に働くと言う。有名な画家の絵が輪郭で表してあるのを原画に近づけて描いたり、自分の好みの色で塗ったりして挑戦的な絵にしたりする。これが非常に有効というわけである。100才時代を生きるためには、ぼけない脳が必要である。聖書を読むことも重要だ、その時には音読で読むことが更に有効ということである。声に出すということが限りなく脳を活性化していると言うことなのである。簡単にできることが知恵となる。ひとくち30回噛んで食事をする。朝起きたら首を動かす。ラジオ体操をする。ウォーキングをする。簡単な良い習慣こそ本当の知恵であり健康を維持し、脳を活性化して元気で過ごすことの出来る秘訣となる。今、始めだそう。なにごとも、始めなければ始まらない。2020年2度目のオリンビックを楽しみにしているように、自分で始める事も楽しもう。なぜなら必ず結果が伴うからである。
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「知恵による収穫」(5)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/12/29 1:00
 † 信仰生活が知恵。   
 生きてきた長さが長いほど知恵が伴っているはずである。多くを学び、多くを体験してきたからである。悲しいことは私達は知恵にふさわしい生き方が出来ない弱さを持っていることだ。「わかちゃーいるけど、やめられない」また、わかっていても自分の習慣に崩されてしまうことである。しかし、こういう体験を続ける事も、次に続く知恵なのである。最終的には主なる神の前に出て、罪として告白し悔い改める事である。こうして知恵ある生活が出来る。主イエスはそれを待っている。また、年若いときは未信者との付き合いも多く、彼らの娯楽に加わるなどして、楽しく面白いことが大きくなるときがある。このような誘惑の時に人生が狂いやすい。その時には心の深いところで語られる主の声を聞く事だ。クリスチャンの魂の奧には主が住んでおられて語られる。「ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。」ヨシュア1・7

 † 振り返って新年を迎える。
 自動車の急ハンドルは危険をもたらす。新年になって急激な変化をしょうとすると、かえってうまく行かないと思う。残された数日を振り返りの時として、一年を、今までを省みてみよう。新しい年を迎えるにあたって適切な方向に人生のハンドルを回すことができるだろう。まず霊的問題としての自分を吟味しょう。「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい」 2コリ13・5)次に、金銭について信仰的であったか顧みる必要がある。このところに人の本質が現れる。自分の第一に対してがわかるからである。「・・・・私たちの心をお調べになる神・・・・」1テサ2・4)に向かっての自己吟味が出来る人が成長できるのである。 これを棚に上げて信仰ぶっても、人には通用しても神には通用しないからである。これを省みれる人は素晴らしい年を迎えられる。
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「知恵による収穫」(4)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2019/12/22 8:40
 † 先を読む知恵。   
 時代が変わる時とはいつなのか?それを待つことがあり、待たずして変えてゆく事がある。織田信長は三百年遅く生まれるべきだったと言われる。その時代とは天保の改革(1841)の年代であり、 オランダ国王からは開国勧告をうけフランス、英国、アメリカの艦船がやってくる時代である。1849年には漂流民の音吉(ジョン・M・マトソン)が通訳として英国の商船で日本に来たが艦船と間違えられ日本の砲撃を受けて帰還した。この音吉と宣教師チャールズ・ギュツラックによって最初の日本語聖書「ギュツラック訳聖書」がマカオで作られていた。1858年(安政5年)日仏修好通商条約が集結締結された。こういう時代に信長の知恵があったなら、日本の近代化は違った形になった。と言うわけである。信長が世界に類を見ないた改革者だったわけは伝統に固執せず、世界を目指していたことだと言われる。

 † 人生の柱を持つ事。
 聖書を読むばかりでなく大切なことは「信じ切る」ことである。大方の人は自分の領域(知性や感覚)で神を査定し、信仰を査定している。要するに自分の土俵の中に入れようとしている。賢く見えて外れた知恵である。神の土俵の中に飛び込む「神を信じ切る」と言う冒険がないならば、神に導かれる幸い、即ち、神に支配される幸いが体験されないと思う。私には人生を支える三つの御言葉がある。一つは詩篇37・5「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」・・・・信仰生活の初めから、自分の未熟な判断や決断に頼らず、時間(期間)を主イエスに委ねて、主が成し遂げられる事を待ち望み、信頼し続けるのである。これは私にとって神からの知恵である。主イエスが私にそうするように促された。それは御言葉の通りであるし、私の性格に最も見合ったものである。信じ切る(主に委ねる)とは、神の土俵から飛び出さないと言う事である。私にはなんでも出来る自由があるが、最大の自由は、主なる神の可能性の土俵の中に、留まることを選ぶ自由である。
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