らしく生きる(5)

† 四苦八苦する。
 新しい物がすべて便利ならば、この上ない。しかしながら、その便利さに到達するまでに四苦八苦するのことが多い。自分の手に馴染むのに難しいものがあったり、仕様が複雑で時間を要することが続くと嫌になる。茶の木畑に入る、という言葉を聞いたことがある。茶の木は複雑な枝で絡み合っている事から、手がつけられないときの状況である。らしく生きると言う事は「らしくない」ことを解決しなくてはならないのだが、自分の中に問題があるので、らしくならない。私にはそういうことがある。ある人には、たやすいことが、私には四苦八苦することなのである。その事でようやくクリヤできる。この頃はクラウド(データやアプリケーション等のコンピューター資源をネットワーク経由で利用する)傾向になっている。日頃の使い慣れたプログラムを使うにも変わってきたと感じてしまう。ある人は便利になったと思うだろう。私の様に古い概念を新しい物にするには四苦八苦である。ようやく、らしくなれるのだ。

† 日進月歩してゆく。
 日に日に進歩して行くならば、その成長は早いことになる。確かにそういう人がいる。うらやましいことだが、それだけの集中力があると言う事でもある。私達クリスチャンの特権は聖書を読み続けることによって、日々に真理に出会う事である。それが日々の発見であり、進歩なのである。問題は何かと言えば、園人の喜びとする優先順位である。聖書の真理以上に別の喜びが、その人にあるならば霊的進歩は相殺(ソウサイ)されるのである。真理の喜びが優先され、大きくならないと、実際的な霊的進歩がついて来ないと思うからである。朝はあわただしく、主との時間を持つ事は難しいかも知れない。私達には、決めなければならない事がある。主イエスに在る喜びを増したい。という決意である。これがなければ、霊的な日進月歩は生みだす事は、なかなか難しいということである。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」ヘブル12・2)どのような生活の場面でも、主イエスから目を離さないでいること。そして、礼拝の解き明かしに聞く事。自らの聖書から神の御声を聞いて行く事である。霊的な日進月歩は起こる。

らしく生きる(5)