霊的センスと生活(5)

 † オリンピック。
 2020オリンピックの最中である。これに触れない理由は無い。コロナ渦での開催、しかも無観客である。この開催には賛否両論が今も続く。会場に足を運べるにしても、全世界的に見れば極々一部の恵まれた人だけである。多くの人は日頃の勤務のためテレビも見る事が出来ない。しかし、メデイアの時代の今、充分にオリンピックを楽しめるているのではないか?・・・聖書は競技を取り上げる。ボクシング(1コリ9・26)マラソン(ヘブル12・1)日本男子体操では橋本選手が個人総合で金を、種目別の鉄棒でも金。男子総合で銀を獲得した。技が高い、安定力がある。これらは「センス」の良さである。日本の世界一選手が20人を上回った。厳しい環境の中、耐えながら、自らと戦った出場全ての選手を讃えたい。神の作品である人が、さらに全ての面で、神の似姿としてのセンスを磨き続けて欲しい。・・・・私達は霊的にはキリストの身丈までに達するセンスを身につけたい。求め続ければ、主は近づいて下さるに違いない。

 † アイドリング・ストップ
 この度、大騒動になりかけたことがあった。私達夫婦の乗っている車のことである。前日に妻が前照灯をつけたまま放置、当然バッテリー切れとなった。コードを繋いでエンジンを始動し、少し乗り回してバッテリーを回復させた。問題は妻が出先で「エンジンが止まり、しかし、エンジンを始動出来るが、また止まる」とパニックになって電話をしてきた事である。エンジンが止まる、と言うことは大ごとだ。一応出先までワゴン車を走らせた。エンジンはすぐにかかったので、バッテリーではない。別に異音を発してはいない。なんだ?そして、すぐに思いついた。アイドリン・ストップ機能である。車が停止すると自動的にエンジンが止まる機能で、妻は全く無意識に車を運転していたということである。たまたまゴミ収集場で、エンジンを掛けたまま停車していて自動的にエンジンが停止したのだ。素晴らしい機能を「センス」に見立てると、人は無知のままなのに、優れたセンスが支えているのだ。神の真実(真理)の奥深い神の配慮と摂理が私達を守っている。しかしどれ程に私達は悟り得たのであろうか?知らないために感謝もせず、畏れも抱かず、崇めもしない、それなのに私は全てを知っているかの如く居るのである。

「霊的センスと生活」(5)