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牧師の想い

牧師の想い - 最新エントリー

「一貫性の喜び」(2)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/3/11 1:00
 † 相手が優れて大物。
   いま、人気が高い大河ドラマは西郷隆盛の物語である。下級武士としての西郷は何かにつけて後塵(コウジン)を舐(ナ)める身分でしかない。お殿様(斉彬)と直接まみえる様な機会がめったに無いが、物語では相撲で優勝した西郷が殿様と相撲を取る羽目になる。周りの者達は殿様に花を持たせて、西郷が負けるものと思い込んでいた。しかし愚直な西郷は真正面からぶつかり真剣に取り合って殿様を投げ飛ばしてしまう。普通だと無礼者として死罪と言うところだが、殿様(斉彬)は優れて大物であり、西郷を見込んで取り込むのである。さて、私達が信仰にこだわり、御言葉を握って自分を曲げる事をせず、融通の利かない人間となり、人々に馬鹿と呼ばれるとしょう。しかし主なる神はどうであろう、現代のヨセフの出現のように喜び、引きよせて下さるのではないか? 私が信仰に目ざめた頃、近くに住まわれる名士に諭された「信仰は良いものである、しかし深入りするものではない」と。もし人の造った宗教なら、さもあらん。しかし、生ける神にして大物なるお方は、信仰に生きる小さき者をも見逃さず、取り立て引き上げられるのである。

 † 読み続ける事の優位性。
   日本では著名な佐藤優さんだが、その幅の広さには驚く。神学者として教鞭を取る傍ら、日本のインテリジェンスとして高い評価を得ておられる。しかし、人に対しては好き好きがあるのでその人の判断で良い。ただ、これは真実として受け取りたい「書く力に勝り、話す力に勝り、聞く力勝るのは、読む力である」 これを佐藤さんから刻みつけられたのである。多くを読み続けるという一貫性が人生で何よりも重要だと思う。私達の幸せに関係する書物を読み続けることだ。クリスチャンならばなおさら、全世界から著名な書物を入手できる。日本でも多くの優れた飜訳本が何であれ揃っている。私達の様に聖書を持つ者には、心理学も自然科学も文学も歴史書も思想書も神学もあらゆる聖書とキリスト教に欠かせない研究書が待ち受けているのである。限らた時間で、読む力を続けて行くことは特に私達クリスチャンに重要だと信じる。自分に心掛けている事は、片寄らずさまざまな分野に興味を持てるようにする事。十代から読書をしてきた事が、今の自分を成り立たせていることは偽りでは無い。
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「一貫性の喜び」(1)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/3/4 1:00
 † 使命の確信から。
   成る程と、驚きを持って聞いたことがある。「私は廃虚を立て直すビジョンを持っています」その方は私が献身する前からの知りあいだが、牧師に成られてから、驚くべき規模の大きい働きをされている。その使命を与えた御言葉は「あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう」イザヤ58・12)です、と言われた。廃業となったホテルやリゾートにある保養施設、サーキット場や広大なキャンブ施設などを「立て直され」神の国の人々の集うところとされた。まさに「人はあなたを『破れを繕う者」(口語訳)と呼ばれる。にふさわしい人物(牧師)である。この一貫した使命は日本国内と海外にまで及んでいる。ずいぶん特殊な感じがするが、神は「志を立てさせる」ピリ2・13)そして、実行させるお方である事を忘れてはならない。誰にでも、主イエスは志を与えられる。そして私達は、その志に対する一貫性となる情熱を持ち続ける事である。まず人生を貫く志を確認し明確にしよう。そして貫くために、主に祈り、尊い人生の一貫性を勝ち得ようではないか。

 † 続けて良かった。
   誰にでも続けて善かったと思う事がある。聖書を読み続けている人がいるなら、それはとても良いことである。マルチン・ルターは、聖書を20回読み通さなくては、説教はすべきではないと語ったと言うくらいだから、信仰生活の土台は聖書に親しみを持つ事にある。私は聖書を読んでもわからないので、聖書を手にしたときから、キリスト教を知りたいと思い、「キリスト教大辞典」を出版と同時に本屋に注文した。1963年で私は23才だった。本屋さんが自転車に乗って、わざわざ届けてくださった。今の価格で3万円近くになると思う。それが今日の私に繋がっている。そこから、あらゆる学問に繋がる多くの著名なキリスト者を知り、聖書の特異な権威としての神の言葉を受け入れられた。信仰は実感がなくても「信じる」ことを続ける必要がある。なぜならば、主イエスは信じている内容を証明してくださるからである。ヘブル書はその事を訴えている。例えば、目に見ていない主なる神の働きや、祝福に対して、実感がなくても信じ続ける所に、主なる神は現れてくださる。さらに善いのは、必死になって神の真実を求め続ける一貫性である。
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「教会イノベーション」(7)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/2/25 1:00
 † 時間を何に使っているか?
   私達の教会は素晴らしい目標を持って、今年度を始めようとしている。「祈り、執り成し祈る、行動する」祈りが二重に表現されている。祈りの重要性は私達の教会において開拓の当初から叫ばれている。牧師として早天祈祷会は22年目を迎えているが、行動を持って重要性を現して来た事だと思う。ある年には早天に多くの信徒が参加し、具体的に「時間を捧げて」祈られた。そのような祈りの一致と力が今日を支えていることを思う。祈りの重要性が、どれ程に力強く宣べられても、具体的な祈りの時間を聖別する事が無ければ「害あって益なし」頭の中に、祈りの大切さが鳴り響いても、祈りは限りなくゼロなのである。しかし、時間は与えられている。8時間睡眠を取るにしても16時間のうちに、祈る時間が無いと言い得るのだろうか? 考える力が要る。多くの場合、祈る事より別の事に時間を費やしているのが私達ではないか?現実に多くの時間を費やす私の喜びとするものがある、それは神から来たものかどうか吟味しよう。より良い「私自身」になれるよう、また、主の要請である「祈れ」にたいして、今年こそ時間を祈りに聖別しょうではないか。

 † 委譲されて、今ある私。
   教会に仕える働き人(牧師・宣教師・教師・リーダー)は自らの好き勝手によって、なれるわけではない。牧師は神の召しに献身し按手を持って任職される。首(カシラ)をキリストとする教会は、キリストに服従する牧師を持って統一された秩序を創り出して行く。個人的な個性や気質以上に、キリストへの服従が第一にされる。スタッフも同じようにキリストに従順である事。また建てられた牧師に従い助ける務めを持っている。また、多くの信徒リーダーが建てられていることはすばらしい事である。このリーダーは信頼されている評判の良いクリスチャンであるはずだ。リーダーは牧師からの権威を委譲されて奉仕をされている。牧師の行う働きの権限を委譲されているので、リーダーは牧師の下に良い働きが出来る。会社で言うならば、上司の仕事を任されて行う事と同じで、上司と同等ではないけれども、同じ働きの一部を任せられているのである。リーダーは「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」ロマ12・3)と、言うことが霊的秩序(平和)となる。教会の「権限委譲」エンパワーメント(empowerment)は、牧師の権限の一部をリーダーは任せられていることを感謝し喜んで行うことでリーダーの能力と賜物の開発が増大し、重要な教会のイノベーションとなる。
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「教会イノベーション」(6)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/2/18 1:00
 † 育つ人を求め続ける。
   育つ人とは誰か?するとすぐに思い浮かぶのは「若い人」となるが、実はそうではない。育つ人とは「求めている人」求道者である。若くして学歴があり、好ましい人であっても、聖書で言う「飢え渇きのない」人は育ちようが無いのである。その一方で高齢者と見られながら、真理に渇き、神の御顔を仰ぎ求めている人がいる。まさに卯建(ウダツ)の上がらぬ若者に勝る育つ人、成長を続け輝きを増す人である。このように自発的に求道し育つ人が霊的な若者なのである。それだから「わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」1サムエル16・7)と言われる。高齢化する教会であっても、飢え渇きのある方々が集われるならば、霊的に若く、燃えている教会であるのだ。年齢的な若さに甘んじているだけで、渇きもなく自発的な探究心もない教会は老人化しているのである。もう一つは魂がこの世に汚染されていない、キッズや中高生を育つ人と見るべきである。今日迄もそうであった様に、これからも続けて彼らに愛情を注ぎ「育つ人」にして行こう。

 † 問題と困難を通して学ぶべき
   苦しみとや困難を求める人はいない。しかし、それは求め得ずしてやってくるものである。それは主なる神も赦されている「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」ヘブル12・6)そして、それは訓練である事。神の子として扱っておられる証拠である。と、言われている。教会における難しい問題も大切な課題となり、イノベーションの契機とされるのである。昨今の日本の企業における不祥事は、隠されていた大問題であった。問題解決の苦しみと「うめき」が新生する力を生みだすのである。教会も同じで、ひどい試練を乗り切った教会は、さらなる神の恵みの中に引き入れられ、痛みを神の栄光に変えて進んでいる。神の懲らしめの帰結は何かと言えば、揺るぎない神の真理(御言葉)に立ち帰る事であり、また「混乱の神ではなく平和(秩序)の神だからです」1コリ14・33)とある如く、平和とは主なる神から下って流れる秩序である。爽やかな風通しの良い教会へと変えられる事になる。
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「教会イノベーション」(5)

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牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/2/11 1:00
 † 再び燃えたたせること。
   「私の按手を持って、あなたのうちに与えられた、神の賜物を再び燃え立たせてください」2テモテ1・6)あなたのうちに、既に与えられている賜物、これこそが教会にとって、教会の働きにとって重要な事なのだ。イノベーションとは、新しいことの創造であるが、聖書の原理的な主張の一つは「既に与えられている」と言う事である。何かを作り出す前に、既にあるものを新しくせよ。と言うわけである。テモテは使徒パウロから按手を受けた時に、力強い油注ぎを受けた。この歴史的出来事は一回的であったかも知れないが、与えられた賜物はいつ迄も続いて「あるもの」としてパウロはテモテに促している。だから「再び燃え立たせ」よ、と命じている。私達クリスチャンの問題は、私達が人間であるということである。かつては、聖霊に導かれ、御言葉の指導の下に信仰の喜びと力で戦い続け、歩み続けていた。だが霊的な戦いは一面的なものではなく、あらゆる事柄の攻撃にさらされ疲れ果てる。いつしか臆病となり、霊的、信仰的な慎みを欠く程に弱まるのである。聖霊の油注ぎと共にあった賜物が、情熱を失い、その炎は輝きを失うまでに弱まる。残るは唯一、与えられている聖霊の恵み(賜物)を燃え立たせることである。祈りに立ち返り主に叫び求め、聖霊の恵みを燃え立たせることが出来るのだ。

 † 柔軟に変えられる。
   私達のビンヤード教会は、世界に「聖霊の第三の波」をもたらす重要な一翼を担った。その当時の問題が今日にも当てはまる。どう言うことかと言えば、多くの教会が聖霊の働き(ワーシップ・しるしと不思議の伝道)を教会に招きたいと、創設者のJ・ウインバー師に殺到したのである。招きに応じ、神の御栄えのためにアメリカのみならず世界の各地に赴いたのであった。ウインバー師が問題に感じられたこととは。それは、新しい聖霊のお働きに対して、非常な関心があるにも関わらず、教会のスタイル(賛美の在り方や礼拝形式)を変えようとしないと言うことだった。「聖霊のお働きに邪魔になるものは取り除く」それほどのフレキシブ(柔軟性)が主なる神(聖霊)に対して求められるのである。ところが人間は伝統(定型)が好きである。昔のままに安住し平安を覚えるものだ。教会も変わりようのないスタイルのまま、自ら変わることに億劫(オックウ)になる。しかし、古い形態や、人間が取り仕切ろうとする言葉やプログラムが聖霊様の働きを不自由にしてしまうことは現実の問題である。主なる神は変わらないが、私達は変わってゆかなければならないのである。
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