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牧師の想い

牧師の想い - 20180916のエントリ

「人生の技法」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/9/16 1:00
† 生きる技法。
  「技法」とは、技能をある目的を達成するために最適化された手順で活用すること。これこそが私達の信仰の内容ではないかと思う。まず技能が無くては技法には繋がらない事になる。福音は主イエスがもたらしたものであり、神の主体的な働き(技能)なのである。これが聖書の大前提であり、このような神の技法は、主イエスのもたらした福音(最適化された手段)を通して私達を悪と罪の世界から救い出し、新しく生かして下さる事になった。誰でも主イエスに救われた者は、主イエスを救い主(メシヤ)と告白する。人生というテーマを掲げる以上、絶対にナザレ人イエスの福音を抜きにして考える事も、語る事もしてはならないのである。未信者で無神論者であっても「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」伝道3・11)ので、人間はこの世界に人間以上の厳かな存在に引きよせられるのである。しかし神の技法(イエスの福音)を無視する生き方は「愚か者」詩14・1)に墮するので注意。

† 目的にむかって。
「働く」とは「私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました」 2テサ3・10)働くことは食べる(生きる)ことと結ばれている。クリスチャンは神の栄光のために存在する目的で生きている。聖書は怠惰(働きたくない)を強く戒め、新しくなった人が勤勉で誠実である事を勧めた。働くということには目的を伴っている、生きる(衣食住)を成り立たせる。では目的とは、それだけのためなのか?そうではない、それだけを目的にして働くことは滅びる者と同じである。私達の働くこと自体が神の栄光のためであり、神を讃える礼拝が伴っているのである。自らの技能を最善を尽くして活用する時、神を具体的に讃えているのである。それが勤勉ということである。その働きは居食住のみのためではない、神の恵みに委ね感謝している自らの人生を、身近な人々に証詞して行くこと、隣人に仕えて行く事が、あなたの優れた神からの「技法」である。
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