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牧師の想い

牧師の想い - 20180819のエントリ

「努力のしがい」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/8/19 1:20
† 知識には自制を。
  「知識には自制を」2ペテ1・6)信仰には徳を、徳には知識をと、私達の信仰内容は充足してくる。知識を増し加えて信仰は論理的、知性的な内容を伴うようになる。この知識に「自制を」伴わせることが今回求められてくる。自制(セルフコントロール)とは、自分自身を制御するの意味。「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」1コリ9・25)私達クリスチャンは、人々がやらない自己鍛錬をしている。スポーツ選手が暴飲暴食を自制するように、決まった時間を必ず競技に見合ったトレーニングをするように、クリスチャンも神の国の証人として自制する。祈り、学び、礼拝して自分の弱さに負けない自制力を身につける。何よりも世の光りでありたいという証人の思いがなければ自らトレーニング(自制)する能力は生まれないであろう。果たして、キリストの証人として生きる気概はあるか?

† 真理を知識とする。
   聖書とは真理の言葉である。「そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。ピラトはイエスに言った。『真理とは何ですか。・・・・』」 ヨハ18・37-38)私達クリスチャンとは主イエスが約束されたように「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」ヨハネ8・32)真理を知る。即ち、真理は聖霊により知性(知識)となるのである。・・・・残念なのは、多くの人々において、真理が心で止まってしまい、知力にまで到達していない事である。この世の事では知識(知力)を用いて力強く生きているのと同じく、真理は力強い知識なのだ。神の真実(真理)が、心で止まっている限り、神の栄光は光りを放つことは難しい。しかし、私達は宣言する。「聖書の真理は聖霊による私達の知識である」
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