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牧師の想い

牧師の想い - 20171203のエントリ

「信頼する勇気」(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2017/12/3 1:00
 † 真実な思いやりを。
   現代は自己申請の時代である。手続きを怠っていれば受けるべきものも受けられない。年金など間違ったまま受給していてもわからないままになりやすい。要するに誰かの申請が引き金になって、真実が明らかになってくるようなことが多い。そういう意味ではこの時代は間違いを認め、訂正され真実が行われる良い時代でもあると思う。聖書には「思いやり」ヘブル13・3)の重要性を勧める。人の気持ち、人の必要に対して順応し対応する所までを勧めている。される側とする側があるわけだが、それは人間だからそうすべきだと云うことが成り立てば一番良い。しかし、私達人間は利害関係に縛られているので上手く行かない。思いやりを他の人に申請するのもおこがましいが、切羽詰まれば、それもおかしくはないと思う。私達は自由の中にあるが、神の内にある者である。主なる神に促され、信頼して思いやるのである。特に神の家族に対して、身近な人々に対して信頼して、思いやりを現して行くならば、大きな信頼の環が生まれるだろう。

 †  まごころを持ち続ける。
   「まごころは通じる」と、ずーと信じ続けている。長い人生にあっては不評を買い、誤解をされ不本意のまま生き続けなければならないことがある。そういう時は凜として自分の真実を心に秘め、なお真実に生きることである。あえて釈明すると野暮なことに成りかねないことが多いからである。特に、主なる神に仕える者は心を主なる神に置いて沈黙を守るが良い。それが私のやって来たことである。真実は明らかになるし、真心は通じている事がわかってくる。十年も経つと真贋がわかってきて評価は一変してくる。時の趨勢(スウセイ)によって評価が変わるからだ。まごころを尽くしてやったことならば、たとえそれが批判されたり、排斥されたにしても自分のまごころ「主なる神への誠実」であったなら仕方のないことなのだ。自分を信頼して居るしかないのである。「ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。・・・・」2コリ6・8)さまざまな人々の評価の中で、生抜く力は、信仰のまごころだと思う。
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