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牧師の想い - 「人生の技法」(3)

「人生の技法」(3)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/9/30 1:00
† 神の中に生きて行く。
   これはそれほど難しいことではないと思う。「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです」使徒17・28)世界の中に生きる、現代の中に生きるとか、理想の中に生きる、とかがあるように同じ感覚である。ただ視点の置き所がそれぞれ違い、その最も大きくて安定しているのが「神の中に」生きて活動し存在することだと思う。人はスポーツに生きるのも良い、仕事に生きるのも良い、研究に生きるのも良い、どんな生き方も良い。その条件は神の中に生きる事によって、神の栄光となるからだ。人生が無駄骨に終わることがなくなる。このような認識が人生の技法となる。若いときも年を経るときにも、その存在は神の中に生きており、全ての事が益となる。なぜならば「神の中に生きる」以外に無いからだ。誰にでも離別や苦しみ、悲しみが伴うが、全ては神の中に行われている事によって、限りない慰めと希望を与えられる。この神の中に生きる技法は平安を生みだす。

† 愛の偉大さを知ること。
   前回にも触れたが神の愛を体験する事ほど大きな技法はない。「愛は死よりも、死の恐怖よりも強い」イワン・ツルゲーネフ)これを名言と捉えるだけでは傍観者に過ぎない。愛は、神から生まれたものであり、イエス・キリストは神の愛の極みとして現れ愛を実行された。しかしながら私達人間は、自分の善性や自己愛を自認して、神の愛を体験するよりは理論化しているのではないかと思う。理論は道筋を説きわかりやすいが、愛を味わうという事からはほど遠い。多くの罪を赦される人は、神を多くを愛する人である。ルカ7・47)これは神の愛に愛されて生まれる。生まれつきの愛ではない。聖書は「・・・・私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」ロマ5・5)と神の愛を注いでおられる。私達はそれを実感するまで、体験するまで求め続ける事である。この御言葉をも理論化してわかったように振る舞ってはいけないのである。なぜならば神の愛は具体的な私達の最強の技法だからだ。
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