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牧師の想い

牧師の想い - 「神の国を生きる」(4)

「神の国を生きる」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/7/1 1:00
† 神の国のヒーロー。
   いかにして、私の様な者が「神の国」を現せるのか? きっと、多くの真面目なクリスチャンが思っている事に違いない。私がそういう一人だからである。「あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい」1テモ4・12)教会には「模範者(ヒーロー)」が居る事が望ましい。ところが開拓途上の教会で、そのような人が見当たらない事もある。ならばヒーローを捜すことだ。それは有名牧師のことではない。あなたの最も身近に感じるテモテのような模範者である。私は時々言うのだが、青年期に「アリョーシャ」を模範にしてクリスチャンを生きる事を求めた。彼はドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」に出てくる青年だが、私の信仰を支えるヒーローであった。ひどい環境の中でも、汚れた人間関係の中でも信仰を腐らせず歩み続け、神の国を離れなかったことは、アリョーシャを模範にし倣ったからだと思う。

† 誰のために働く?
  多くの現代人は、働くのは家族のため、会社のためであると言うに違いない。ある人は自分のため、稼ぐためと言うかもしれない。このことに間違いがあるはずがない。聖書は勤労に対して「・・・・「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた」2テサロニケ3・10)クリスチャンは能動的に働く者である。神の国が現れるのは、私達が主なる神の命令に聞き従うからだ。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」1コリ10・31)自分の勤労がクリスチャンであるがゆえに、神の国の枠内に置かれているということである。そういう信仰意識を持った勤務には神の栄光があり、神の国が現されているのだ。クリスチャンの勤労が、神への働きとなるところに、神の国があり栄光が現れる。主なる神のために喜んで仕事をする者となりたいものだ。
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