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牧師の想い - 「良識の好奇心」(7)

「良識の好奇心」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/6/3 1:00
 † 力不足の好奇心。
   恥ずかしい話だか、いまだに読めない(理解できない)聖書の講解書がある。カール・バルトの「ローマ書講解」である。牧師になって間もないころに購入したが、すぐにギブアップした。世界を変えるほどの思想書であるにもかかわらず、読む側に理解する能力も力もないということである。ところが先日、最新刊である「神学の技法」~キリスト教は役に立つ~佐藤優著の中に「教会論」キリスト教とナショナリズム。カール・バルト「ローマ書講解」を読みとく・・・・があった。これにより40年近く眠っていた「ローマ書講解」に光りが当てられ理解への道が開かれたわけである。全く予期しないことで、宝を得たような感謝を覚える。また、佐藤優氏は知性の向上法について「何を・どの様に」について教える天才のように思える。キリスト者の教養のために私は氏の著作を勧めたい一人である。さて、内容があって難解であれば、読めるようになりたいとせつに思う。長いスタンスの中にも好奇心が働いておれば、なにかを掴み、道が開かれる事に繋がるものである。

 † 良識を優先させる。
   カメラを持つ者は、レンズを取り替えながら興味あるものに焦点を合わせる。周囲がぼやけるマクロレンズで花などを撮るといっそう引き立つ。カメラの性能は恐ろしいほどの進化を遂げており、それに見合ったレンズも高価になっている。いま私達は世界第三位の経済大国の中で生きており、高級カメラと同じ性能の高い生活をしているのである。その生活は、なにに焦点を合わせて「何を」喜びとしているか?・・・・高度な生活様式の中で「何を選び」好奇心としているか?これらのことは必ず主なる神によって問われるのである。なぜなら、私達は国籍を天に持つと同時に、この世に神の国を創り出して行く使命の下に、生かされているからである。人間の最大の良識は何かと問われれば「キリスト信仰」なのである。この事で何を言われようが、クリスチャンは絶体の良識とする。その良識を持って好奇心を持つべきなのである。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」マタイ6・21)絶対の良識があるところである。 
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