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牧師の想い

牧師の想い - 「良識の好奇心」(6)

「良識の好奇心」(6)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/5/27 1:00
 † おもねる気持ち。
   人に気にいるように振る舞うことは、普通にされていることでもあると思う。しかし、牧師が会衆におべっかを使った説教をし続けたらどうなるか、考えるとぞっとするものがある。人気というものは過分に気に入れられるサービスがあるからで、サービスを止めれば、また違った結果となると思う。主イエスが身代わりになって十字架の死を遂げられるのは、父なる神への忠実さ、誠実さであった。それが途切れることなく「死に至るまで」だったのである。このような福音を教会は預かっているし、語る事を求められている。教会はこの福音を信じて欲しいために働く。リーダーは福音を宣べ伝える預言者、伝道者でもあるが、人間の必要と好みに答えようと、つい人々におもねる気持ちが起こりやすい。人間の持つ原理には、自分を認めて欲しい願望があり、ついそれに答えてしまうのである。福音を預かる教会のあらゆるリーダーは、何を持って注目を勝ち取るか吟味して欲しい。主イエスを喜ばせようと誠実に生きて、力強い福音の励ましと慰めを注ぎ出せる者になろうではないか。

 † 出来ていない良識。
   今まで長い時間があったのに、出来ないままになっているのを見るのは辛い。重い気持ちになる。それは、やらばならないと解っていて、時間が過ぎてきてしまったのである。第一に、エルギーを要する事だ。精神力と体力が問題である。気候にも制約される事柄もある。一つの例は読書だ、夜はほとんど読む気力をそがれているのが私の生活ぶりである。朝を、日中をあてがわないと実現しない事が解っている。第二は、好奇心が必要である。学んでみたい、やってみたい、行ってみたい、見たり、聞いたりしたい、という旺盛さがないと、現状をそのまま保つ事で終わる。男が毎日ひげを剃るのは、ほっといたら醜い顔になる事を知っているからだ。好奇心は自分の脳みそを活性化し、怠け者にこべりついてくる垢(あか)を剃りおとす効果がある。最後に重要な事は「第一歩」を踏み出すことである。次の第二歩は、たやすく進められる。ほとんどの不可能は「第一歩が」踏み出されていない結果である。思い当たる事があるなら「第一歩を」踏み出そう。それは今だ。      
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