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牧師の想い - 「一貫性の喜び」(6)

「一貫性の喜び」(6)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/4/8 1:00
 † 死と生の一貫性。
   先日、親しかった従兄弟の骨を拾った。彼は78才だった。心に迫られたことは、死こそ人間の現実であり、確実なものであると言うことだ。日本人は、終わり(死)から考えて生きるとか、終わりに向かって生きるという考え方はあまりしない。そういう文化背景がないと思う。死も生も、無情の中にあり「無」であると教えられ、混乱しつつ考えるのが日本人ではないか?キリスト信仰は、死と生のまことの文化を与える。宇宙万物の創造があり、まもなく完成がある。キリストの死からの復活は、私達人間の完成に道を開き、死を人間の新たな誕生日に変えてしまったのである。人間の死は、人間が完成される過程の一部に過ぎない。死は人生の新たなる出発とされたのだから、地上の人生が全てではない。死を契機に、これまでの人生に報いを与える。「栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人(私達)にも、善を行なうすべての者の上にあります。神にはえこひいきなどはないからです」ロマ2・10-11)今の私達の生き様は公正な審判で計られているのである。私達の人生に一番大事なことは、死を人生の要(カナメ)として、健全に、ハッピーに受け入れることである。私の身体は死して塵(チリ)に帰るが、私は地上の人生を引き継いで新たに生きるからである。

 † 平安であり続ける。
   NHK朝の番組「わろてんか」に教えられるところがあった。どんなときにも笑う、と言うことが、どのようにできるのか? 笑えない現実の中ではどうするのか。・・・・私達は復活という真実な根拠があって、死を克服できる人生を持てるように、どんな時にも「笑う」には根拠が必要である。その、キーワーズは「人間は、どんな動物よりも愚かで、戦争をして人を殺し合う」という所。「だから憎しみ合うことより笑いが必要なんや」・・・・笑うということは知的行為であり、険悪な空気を変える積極的な平和思考であるのだ。たとえば夫婦を中心に家族が笑い合えたら円満を象徴していると言える。笑いを失った生き方は、人生の健康を損なっている結果では? 神の平安(シャローム)は、日常の挨拶の言葉とされるが、神の繁栄という意味も含んでいる。主なる神の支配下に生きる私達は、主なる神の祝福の中に過ごしているので、平安なのだ。故に「あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください」ピリピ2・18)なのである。お笑い芸人によって「笑う」事も大事だが、私達は神の平安が与える喜びを持っている。私達はその喜びをわかち合う。喜びは、絶えない潔い笑いとして、決して途切れることのない一貫性である。
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