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牧師の想い - 「一貫性の喜び」(5)

「一貫性の喜び」(5)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/4/1 1:00
 † 喜ばしい私となる。
   誰もが「喜ばしい私」なのである。ここには誰々よりも優れているという意味あいはない。喜ばしい私であると言うことは、私の実存(ありかた)の問題である。不幸と認識するか、幸いと認識するかは本人の問題となってくる。最も幸いな一貫性は、自分自身を喜ばしく迎えられている自分にある。そういう構造になっていない人は、自覚的に喜ばしさをあまり感じて生きていないのではないかと思う? 「イエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです」ルカ18・16)毎日が天国のように楽しい(喜ばしい)幼子達は、主イエスが私達に期待されている「喜ばしい私」なのである。大人でありながら主イエスにあって幼子である「喜ばしい私」として生きられるように、主イエスは十字架を私達のために負い、私達のために墓から復活されたのである。「喜ばしい私」として生きている神の子供(クリスチャン)を見ているか? 知っているか?自分の外を見るのではなく、自分を見て欲しい。喜ばしい一貫性こそ私にあるのでは?

 † 影響されて影響されない。
   私達の生活は世界情勢や国内状況の大きなうねりの中で、変化が起こり今まで順調であったものが後退に転じることがある。産業や経済のことばかりではなく、宗教界(霊的世界)にも共通している。日本の極度の高齢化は、勢い宗教を斜陽産業と言わせている。肌身で感じないけれども現実的な事実である。そういう環境下で教会の有意義な活性化のために、いろいろな議論や方策のセミナーも開かれてきた。確かに多くを私達は受け入れてきた。一方、私達は影響されて影響されないもの、私達の独自性を持つようになっている。それを一貫性と位置づける事が出来る。個々の教会には築かれてきた歴史の中で持つ独自性がある。それを自覚してより発展的に宣教体質に繋げて行ける事が望まれる。その教会は多くの影響を外から受けるが、変わることのない独自性を発展させる事に重きをおくのである。教会はさまざまな刺激や有益な影響を必要とするが、持っている独自性を失うのではなく強化し創造性をさらに発展させるようにしてゆくことである。喜ばしい教会の在り方だと思う。
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