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牧師の想い - 「一貫性の喜び」(4)

「一貫性の喜び」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/3/25 1:00
 † 倒れないように生き続ける。
   「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」1コリ10・12)大切な現実的な神の言葉である。もちろん聖霊は真理に生きている人々に語りかけている。喜びに生きる一貫性で大切なのは「気をつけなさい」とあるように、倒されてしまう事実があるという認識をしていること。それは、常に自己点検していることが大切だと言われている。「立っていると思う者は」とあるように、信仰を道として、そこを歩み続けている私達だからである。そうではなく、自分はそこに立ってはいないと思う者もいるということも含まれるだろう。しかし、そういう人々に、ここでは語っていない。弱い、強い、が言われているのではい。主イエスによって、折角与えられた喜びの生活を一貫して生きるために「ですから・・・・」と言う風に励ましを与えているのである。信仰の喜びと勝利の一貫性を生きる事が私達だからである。前節(9-11)を読むと「ある人達は主を試みた」「ある人達はつぶやいた」そのために倒れ、滅ぼされたという事実を示して「倒れないように気をつけよ」と、言う訳である。霊的一貫性の中で、これほど重要なことは無いのである。互いに励まし合う、信仰を喜び合う事が教会である。

 † 挑戦する相手。
   オリンピックで連続金メダルを獲得した羽生結弦さんが口にされる言葉で「自分に挑戦する」を良く聞く。世界には競い合う相手が大勢いるが、あえて戦う相手は自分であると言う訳である。マリナーズに復帰したイチロー選手を見ても、彼の戦っている相手は「自分自身」である。目標というものは自分の外側にあるように思われるが、そうではなく自分の内側にあるもの、自分に挑戦してゆくものなのだ。これを一貫してやっている、それだから人のやらないような努力をする。挑戦相手が自分だからである。仕事への挑戦でも、成績への挑戦でも、収入のための挑戦でもない。全ては自分への挑戦としているのだ。年を取れば体力も衰えるだろうし、気力も長続きしないかも知れない。良いときも、悪い時も、自らに挑戦して生きる事には悔いが無いはずだ。これは聖書的で間違いないことである。挑戦とはあきらめないことを示している。最も輝かしいキリストの身たけ(エペソ4・13)にまで達するには、これまでよりも、これからの自らへの挑戦にかかっているのである。
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