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牧師の想い

牧師の想い - 「一貫性の喜び」(1)

「一貫性の喜び」(1)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/3/4 1:00
 † 使命の確信から。
   成る程と、驚きを持って聞いたことがある。「私は廃虚を立て直すビジョンを持っています」その方は私が献身する前からの知りあいだが、牧師に成られてから、驚くべき規模の大きい働きをされている。その使命を与えた御言葉は「あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう」イザヤ58・12)です、と言われた。廃業となったホテルやリゾートにある保養施設、サーキット場や広大なキャンブ施設などを「立て直され」神の国の人々の集うところとされた。まさに「人はあなたを『破れを繕う者」(口語訳)と呼ばれる。にふさわしい人物(牧師)である。この一貫した使命は日本国内と海外にまで及んでいる。ずいぶん特殊な感じがするが、神は「志を立てさせる」ピリ2・13)そして、実行させるお方である事を忘れてはならない。誰にでも、主イエスは志を与えられる。そして私達は、その志に対する一貫性となる情熱を持ち続ける事である。まず人生を貫く志を確認し明確にしよう。そして貫くために、主に祈り、尊い人生の一貫性を勝ち得ようではないか。

 † 続けて良かった。
   誰にでも続けて善かったと思う事がある。聖書を読み続けている人がいるなら、それはとても良いことである。マルチン・ルターは、聖書を20回読み通さなくては、説教はすべきではないと語ったと言うくらいだから、信仰生活の土台は聖書に親しみを持つ事にある。私は聖書を読んでもわからないので、聖書を手にしたときから、キリスト教を知りたいと思い、「キリスト教大辞典」を出版と同時に本屋に注文した。1963年で私は23才だった。本屋さんが自転車に乗って、わざわざ届けてくださった。今の価格で3万円近くになると思う。それが今日の私に繋がっている。そこから、あらゆる学問に繋がる多くの著名なキリスト者を知り、聖書の特異な権威としての神の言葉を受け入れられた。信仰は実感がなくても「信じる」ことを続ける必要がある。なぜならば、主イエスは信じている内容を証明してくださるからである。ヘブル書はその事を訴えている。例えば、目に見ていない主なる神の働きや、祝福に対して、実感がなくても信じ続ける所に、主なる神は現れてくださる。さらに善いのは、必死になって神の真実を求め続ける一貫性である。
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