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牧師の想い

牧師の想い - 「信頼する勇気」(7)

「信頼する勇気」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2018/1/7 1:00
 † 空虚を埋める御言葉。
   長年牧師をしていれば、多くを学び、信仰に精通してるように見られても仕方がない。信仰は「所与」( 与えられること。与えられるもの)ではあるが、元々、私達のうちにあるものではない。言葉を代えて言うならば、常に日々100%の信仰が充満しているのではない。わたしの場合、毎日神のメッセージが必要である。わたしは受け取る器であって、毎日霊的励ましを必要としている。聖書に「土の器」について書いてある。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」2コリ4・7)古代には素焼の土の器に、高価な宝石が載せられたという。土の器には所与としての宝石は与えられてはいないように、私達クリスチャンも、その都度、日々に恵みを与えられて存在するのである。私達は日々に、空の器であり、土の器なのである。霊的高慢とは自分が空ぽである事、壊れやすい土の器であることを思わず、十全な者のように振る舞うことである。「幸いな人」は、一日中、神の言葉を喜びとし、口ずさんでいる。詩1・2)これは、演技としてのパフォーマンスでは決してない。空っぽでしかない私達が御言葉を思い巡らし、宇宙創造の神の偉大な恵みに感謝し、喜び、心満たされる大切な務めなのである。しかも生命が増大し、その人は繁栄するのだ。

 † 大胆な信頼。
   島津斉彬(シマズナリアキラ)は、日本の近代史を語る上で欠かせない人物である。下士仕官であった西郷隆盛をひきたて登用したのも斉彬であった。鹿児島にある斉彬の記念館を訪れたことがある。日本最初の製鉄反転炉を造り、鉄製の大砲を鋳造した。蒸気機関で動く艦船建造もペリー来航の2年後には建造していた。何よりも忠臣で才能があれば、身分に拘わらず多くを任せる信頼を与えた。マタイ25章のタラントの例え話にあるように、多くを与えられたしもべは多くを儲けたように、私達も実は多くを与えられている。主イエスの偉大な御業により、誰もが直接的に祝福の契約に結ばれている。そう感じて聖書を読む人は驚くだろう「こんな私で良いですか?」と、思わず口にしたくなる。「そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです」 ガラテヤ3・9)能力や、才能のあるなしに拘わらず、主なる神はアブラハムの祝福に繋がるようにされた。そして、あまたの人々がアブラハムの祝福を味わい、ますます主の御業を誉め称えている。主イエスは現代のあなたを神の国に登用し、神の栄光のために用いられる。喜んで神の選びに答えて進もう。主なる神に多くを与えるほどに祝福を受けるのである。
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