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牧師の想い

牧師の想い - 「信頼する勇気」(3)

「信頼する勇気」(3)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2017/12/10 1:00
 † 馬鹿の一つ覚え。
   愚かな者は一つの事だけを覚え、それをどんな場合にも得意になって持ち出す。という意味が馬鹿の一つ覚えだとある。よくよく考えてみると、私の事ではないかと気がついた。賢い人とは、どんなことにも多面的な考え方が出来て的確な判断をすることが出来るのだろう。ところが私の場合、とどのつまり「一つ覚え」に戻ってくる。「…どんなことでも、神にはできるのです」マルコ10・27)と、この御言葉がいつも私と共にあるので馬鹿の一つ覚えに違いないのである。このたび「ビンヤード・ミッション・センター」が出来上がったので、アドベント礼拝を行った。礼拝者一同がぐるりと堂内に環を描いてキャンドルを灯した時、思わぬことに気がついた。33年前の週報に掲げたビジョンの言葉であった「500人礼拝を目指し本年50人受洗」50人にも満たない礼拝者なのに、500人礼拝が目標だった。しばらくして、ある親しい牧師先生から「500人礼拝」とは、どういうものか知っていますか?と問われた。えっ、知りません。と答えた。私には「どんなことでも、神にはできるのです」が鳴り響いているだけであったのだ。しかし、このたび500人以上が集える会場の講壇に立ったことに気づいて、おののいた。主なる神は愚かな一つ覚えに、答えられたのではないかと。

 † 怒りの中には生きられない。
   怒り心頭に達する。ということに遭遇したことがある。クリスチャンになって5年も経った24才ごろだと思う。昭和の30年代の半ばでは、小規模の会社では休日が第一と第三日曜日で、それ以外の日曜日は午後からの礼拝を守るには会社に願い出て、午後から強引に休みをとらなければならなかった。集っていた教会は、若い姉妹たちが多く兄弟が少ないことから、宣教師から期待されていたこともあった。そのような一年を通して4月を迎えたとき、思わぬしっぺい返しをもらった。給料が1年前に減給となった。誰も味方になってくれる人もおらず「鬱憤(ウップン)やるかたなし」そのとき「絶対にこの恨みは忘れない」と心に誓った。悔しさと怒りは、まさに心頭に達したことは事実であった。全部の日曜日が休みとなる迄、日曜日は午後からの礼拝を守り通した。しかし、主を信頼する者が「怒り続けること」「恨み続けること」は、とても難しいことだと気がついた。怒らなければならない、恨まなければならないことを忘れてしまうのだ。悟ったことは、主イエス様の霊は、怒りや憎しみと同居できない霊であるということだ。この事件は思い出に留まり、貴重な私の霊的財産になったのである。
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