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牧師の想い

牧師の想い - 「成長する人の痛み」(4)

「成長する人の痛み」(4)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2017/10/29 1:00
 † 全人的であること。
   アフリカのナイジェリヤの子供サッカーチームが、スペイン代表チームを模範として練習にいそしむドキュメントを見た。極度の貧しさで食事もままならない環境の下で子供達は夢に向かって指導を受ける。勝てば奨学金を受けて中学に行ける、大学の道も開けると小学生が言うのである。サッカーにかけて生きる真剣さに心打たれた。実は、その事を知ったスペインのサッカー代表チームは「誇りに思うと共に責任を感じる」ようになったという。代表監督のフレン・ロペテギ氏は「スペイン代表選手は、サッカーが上手く技術があるだけで合格ではない。人間としてあらゆる面で模範となる者でなければなれないのだ」スペイン代表チームは優れたチームワークがある事で有名である。ナイジェリヤの少年チームもチームワークのよさによって、前回11対0で負けたチームに勝ち優勝した。全人的な成長を教会は目標としているが、ずいぶんと甘いと思う。「これができる」事に安住し、残りの大半の成長に取り組まない傾向だ。技術と賜物の奉仕があっても、それで全人的成長とは言えないことは、誰でも理解できるはずである。

 †  見られ調べられている。
   刑事物のドラマの話ではなく、私達自身のことである。先日、著名な牧師先生の話があった。「某国の教会はかっては人口の30%を超えるキリスト教国にまでなったが、現在では16%にまで後退している」その原因としての要因に、富による世俗化でクリスチャンから祈りが失われた事。次に、近年の有名牧師や大物クリスチャンのスキャンダルで教会の威信を失った事を挙げられた。私は56年前(昭和36年)に洗礼を受けたが、その当時「四面楚歌」の世界であった。19才の私がクリスチャンであることが地域に知れ渡って揶揄(ヤユ。ひやかし)や、馬鹿にされることが多かった。今の時代は大きく変わり、クリスチャンであろうとなかろうと区別をされない。しかしサタンの策略の場である事に変わりはない。世の中の道徳的堕落の空気を区別せずにクリスチャンが自分の得になる思い受け入れると破綻と滅びを招く。神に見られ良心の痛みを感じるなら、まだ救いはある。
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