トップ  > 牧師の想い牧師の想い > 「成長する人の痛み」(3)

牧師の想い

牧師の想い - 「成長する人の痛み」(3)

「成長する人の痛み」(3)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2017/10/22 1:00
 † 自然の成長をする。
   田んぼはイネを刈り取られ切り株だけが整列している。6月に田植えがあり、その成長の様を毎日眺められる環境にいると実を結ぶまでがよくわかる。「地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります」マルコ4・28)自然が持つ見事な過程である。私達の人間としての成長にも言えることではないか?しかし、私達は自然のまま(ありのまま)で成長し実を実らせるまでに成るのだろうか?霊的世界においてはどうだろうか?言えることは人間が実を結ぶほどに成長するには、自然に任せてはできないということである。私達の自然(ありのまま)という意味は、努力し修練してきた「今」をさして「ありのまま」といえるのである。私達の平安は、煩わしさもなく気分も良い、今に安住することである。しかし、聖書は神のみこころを勧める「・・・・成熟を目ざして進もうではありませんか。」ヘブル6・1)苗は成長し実を結ぶように、私達も「あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達する」エペ4・15)ことが期待されている。成長し実を結ぶためには痛みを伴う。成長して実を成熟させる努力が必要である。十字架に肉性を架ける痛みでもある。

 †  耐えるちからをもつ。
   「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」ヘブル10・36)・・・・必要なのは忍耐です。を考える。今の世界には何百万人という難民がいる。我が国にも破壊的な災害によって仮設の住まいに生きる多くの人もいる。見る度に「忍耐と励ましの神が」ロマ15・5)忍耐と希望の霊を注がれる様に願って祈る。また、私達は多くの場合いろいろな事柄に耐える力が必要である。忍耐は扇子の要でもあり、忍耐を切らしたならば、要の外れた扇子のようにばらけて収集が利かなくなる。忍耐があって人間関係が保たれる。夫婦の一方が耐える力を失ったならば、崩壊の危機がそこにある。忍耐は神にあるもので、私達の忍耐には限りがある。もし、神に赴くことがないならば、私の忍耐はさらに脆弱となり危険極まりない。豊かな神の計り知れない忍耐、ご自分の独り子イエスの受難の苦しみを血を流すほどに耐えられた父なる神を見上げれば、愚かな私の内にも不思議な耐える力が生まれる。神から来る忍耐は心の痛みを耐える力である。今、この力が必要だ。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (82)

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://www.fvc-kani.jp/modules/omoi/tb.php/574
牧師の想いカレンダー
« « 2017 11月 » »
29 30 31 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 1 2
Login

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失 |


top