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牧師の想い - 「生命の流れる道」(7)

「生命の流れる道」(7)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2017/10/1 1:00
 † 人間の罪に向かって流れる。
   神の生命は愛に満ち、慈しみに満ち、潔さに満ちた永遠の生命である。そんな生命とは関係なく、自己愛と欺瞞に満ちた罪の中を生きると大変なことになる「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」ロマ6・23)とある通り、私達は悪魔に操られないよう気概をもって生きたい。罪とは「故意的に犯すもの」である故に、誰でも罪を思い出す。しかし「義人はいない。ひとりもいない」ロマ3・10)とある。言葉上からは今生きる人間は、全員が深刻な罪人なのである。なぜ深刻な罪人と言うか、罪を深刻な問題と認めた人(罪人)が、キリストの罪の赦し、完全な自由を確信できる。自分を深刻な罪人と認めない人に、深い生命の流れは生まれない。罪を深刻に認めない罪人の特長は「頑(カタク)なさ」である。自分を何ものかだと思う傾向に生きているので、深刻な罪人だと思いたくないのである。これこそが神に敵対してしまうのだ。自己実現の自由を求め、他からの評価を求める自分のこだわりに捕らわれているのである。神の恵みは私達(あなた)の欠けたる部分を修繕するためにあるのではない。私達の深刻な罪に向かって、神は恵みを注ぎ「新しい被造物」に造られる。生命の流れる器にされるのである。

 †  道に道を作り続ける。
   初めキリストが「道となって」世に来られた。そして弟子達がキリストを継ぐ「道」となって「・・・・地の果てまで」使徒1・8)証人となって、世界に「道」を造った。キリストの教会が生まれて2000年の歴史を経てきた。また今年は「宗教改革500年」を迎えている。神学者A・マクグラス「プロテスタント思想文化史」によれば、20世紀に起こり21世紀にも発展している、カリスマ・ペンテコステ信仰による拡大が「教会・信仰改革」を最も著しく、世界規模の運動として広がり続けている。とし、聖霊の生命の流れを重視している。ルターの「信仰のみ」が、まことの「キリスト者の自由」をもたらしたように、ルターの切り開いた信仰の道をプロテスタント教会は継承して行く。また、信仰に生きた神の人を通して、この日本にも、生命を継承する献身者が起こされたし、現在も神の生命に燃やされている器を通して、神の生命を流す新しい弟子が生みだされる。私達ビンヤードも、聖霊のしるしと不思議の伝道(力の伝道)を引き継いでいる。さらに復興したいならば、神の前に進み出て「ここに私がおります」イザヤ6・8)と、跪(ヒザマズ)いて主の訪れを待ち望めばよい。
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