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牧師の想い - 「生命の流れる道」(5)

「生命の流れる道」(5)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2017/9/17 1:40
 † 短期と長期の道。
   貯蓄の話ではありません。しかし似ているところもある。短期間に築かれる道は、集中的に行われる突貫工事で、日夜を通して作られることが大方知られている。例えば短期間に造成された敷地等は変形しやすく注意が必要である。私達が霊的に成熟するには短期間の道と長期間の道を併せて考えて行くことだと思う。神の恵みによれば私達は瞬間にして新しく生まれ変わる。そして聖霊によって神の御霊に導かれる神の子となる(ロマ8・14)この事によって、神の愛を注がれて生きる道ができる。これらは主なる神の恵みによって与えられている道であり、超短期間に完成する。主なる神の御前に私達こそが天の生命を地上に流す道とされたのである。長期的な道とは、このような恵みの特権を持ち続けること、流し続ける事に尽きる。主なる神の恵みはあまりも偉大なので、私達は人生のあらゆる試練や危機と問題に直面して、神の恵みと導きを体得できる。そうして、自分自身を臆することなく神に委ねて成熟に導かれる。このように、長期的にキリストに繋がり続ける事で豊かな実を結ぶ。これこそが、生命の流れる道と称される生き方である。

 †  最も価値ある事。
   この世に生まれて誰もが生き方を問われる。子どもの時には「どんな人になりたいか?」とか「何になりたいか?」とか問われたことがあるだろう。しかし、世の中のこと、自分の事がわかりだすと難しく感じるようになる。結局、学問を修め、技術を習得する事は「この世の中に生きる」手段だとわかる。この仕事よりも、この仕事、この業種、公務員が有利とかいう価値感である。この危機の時代にあって政治家こそが大きな価値だと考える人もいるだろう。私もそのような理解の中に生きる一介の人間であった。ただ違っていたのは、私の環境が私の自由を全て封じ込めたことである。この桎梏(シッコク)を感じて、天に呼ばわった記憶がある「神はいない、まことの自由はない」と、15才にして絶望を体験した。私が世の中の環境に貶(オトシ)められた事が、主イエス・キリストとの出会いをもたらした。明確に悟ることができたことは「主イエス・キリスト」は絶対的な価値である。この世の相対的で失われる価値ではないと言うことだった。要するに、主イエスが私の生命となれば、私の生きる道は主イエスしかないし、流れ出るものは主イエス以外に無い事になると云うことになる。
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