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牧師の想い

牧師の想い - 信頼し信じる(3)

信頼し信じる(3)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2007/4/22 10:10
† 5年や10年先を見る。
 4月2日,15歳の私は何もわからない世界に裸一つで飛び込んでいった。これを藪入りと呼んでいた。昭和30年(1955年)のことである,戦争を南洋で体験してきた職人もおられれば,この会社で見事に一端の腕を持ち切り回している人もいた。いろいろな技能を持った集団の中で,最も小さな者として全てに仕える事から始まった。同僚という者がいないので,全てが先輩であり,兄弟子であり,親方だった。朝は会社の玄関掃除から始まり,仕事の終わりは,仕事場の掃除とすべての機械の油ふきをする事。夜は外出する事は禁止という,いわば人間としてではなく修行する者(小僧)として扱われる事を受け入れなければならなかったのである。こういう出発をして行くと一年や2年で何かをものにしたということはできない。あえて仕事は教えてもらえず,人の言いなりに動き,働く事を求められる。一切の自分のやりたい事が拒否される世界なのである。少なくとも5年で何とか,10年で一人前という計算である。それを信じて,つらい日々を耐えなければならないのである。今に思えば,そこを通れた事は希少な体験として,また非常に人格的,霊的な訓練となった。例えばヨセフのように目の前に起こっている事が絶望的でも,5年先を,10年先を見る事が出来る。神の真実を信頼できるのである。

† 今を無駄にしない。
 将来に向かって子供は勉強し,若者は社会に適応する技能を習得する。これは世の習わしである。しかし,義務化されているところでは出来ても,自分の自由の中で出来るかと問われると現状に甘んじ,あえて趣味以外は手をつけないのではないか? 今を有益にして無駄にしないことは充実した生活を約束する。私達クリスチャンは聖書から常に啓蒙的な励ましを受けている。それは短い人生を無駄にしないで感謝に満ちた喜びを生み出すためである。神の豊かなご計画に沿って努力すれば,甲斐のある成熟した結果を持つ事が出来るからである。私達は神の世界にいるのである,目を開いて神に興味と関心を持とう。驚きを与えられた事に留まって真理の意味をつかめ,それが自分自身の本物となる。借り物の真理で満足してはならない。自分のものでないものは自分で噛みしめて消化し自分のものとする作業をすることである。この作業は決して無駄になる事はなく,そこにある宝石を自分のものにする事である。この事を信じ信頼して,試して欲しいものである。
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