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牧師の想い

牧師の想い - 信頼し信じる(2)

信頼し信じる(2)

カテゴリ : 
牧師の想い
執筆 : 
細江 和弥 2007/4/15 10:10
† 正気になるために。
 主イエスはサウロの激しい迫害の一部始終を見ておられた。ステパノの殉教の時,その場にサウロがいた事を知られた。サウロは一方的なユダヤ教原理主義者であった。だからクリスチャンは異端者でありこの世から抹殺する対象でしかなかった。そんなサウロをイエスは見ておられた。羊のような無抵抗なクリスチャンを老若男女見境なく捕縛することがまことの神をあがめる事だったのである。主はサウロが,サドカイ人やパリサイ人,律法学者のようではない事を見られた。先の者達は福音を見聞きし,イエスがメシヤである事を大いに知って,背きと,そそのかしでイエスを十字架につけた。サウロの中にはそのような政治的な謀略が見られなかった。サウロは霊的な純粋さのために暴走していたのである。主はダマスコへの道でサウロに現れる事を選ばれた。サウロは真実を知れば,真実に背かずどんな事でもする人間である事を認められたからである。・・・・・主の信頼は裏切られる事はなかった。サウロはパウロとなって誰よりも復活の主イエスを,信頼し信じる者になり,世界に復活の主を宣べ伝えたのである。私達はパウロのように復活の主を信頼し,信じる者であるか吟味を迫られる。

† 長いスパンを持って。
 「ローマは一日にしてならず」と言われるが,確かに人間の成長や自立にも言える言葉である。主に出会って劇的な体験をする者は,急角度な変化を遂げて成長を始める事が出来る。もちろん多くの試練と戦いの中で挫折してしまう事も多いのは否めない。しかし,多くの人々の場合,急激な変化を期待しすぎてはならないように思う。霊的な欲求という事柄に時代差があるからである。今の時代に育っている人々の感覚にあわせながら信頼し信じて,真理に引き寄せなければならない。私達の教会は幸いなことに,長いスパンをもって育成する事を常とする「青少年伝道」を中心にしてきた。長い時間を,信頼関係を築く交わりと,学びと礼拝と奉仕にたむける事によって内面深く信仰が息づく事である。成長するとは「目が開かれる」事である。見えなかった事が自己において真実になる事である。聖霊によりその現実は起こるのだが,そのために「目を開く礼拝があり,真理の学びと交わり,と祈り」が備えられている。私達は常に「主よ,見えるようになることです」ルカ18・41)という目的を持つべきである。
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