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礼拝メッセージ

メッセージ集 - “箱”は何処へ行った?

“箱”は何処へ行った?

カテゴリ : 
細江 誠貢 牧師
メッセージ :
 2017/11/5

2017.11.05

メッセージ:細江誠貢師
「“箱”は何処へ行った?」

出40:37~38
雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。
イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。


Ⅰ 幕屋で使用される道具とその象徴
①材質・・・『金』
金・・・神の神性をあらわす。
・人の手ではつくれない金属

②材質・・・『アカシア』
アカシア・・・荒野に生息するどこにでもある木、重たい木。
・アカシアは人間の性質と共にイエスキリストをもあらわしている。
(キリストは人となられ、神の栄光をその身にまとい神の神性をあらわされた。)

③材質・・・『青銅』
・幕屋の周りに設置された囲いの土台、祭壇や洗盤は全て青銅。
・青銅は罪汚れの清めを意味している。

④材質・・・『銀』
・人を買い戻すために代価として「銀」が支払われた。
・買い戻す行為を「贖う」と言う。
・銀は「贖い」を象徴する。


Ⅱ 幕屋の道具の用途
①祭壇・・・生贄が供えられた。血の犠牲の象徴。
・全焼のいけにえ、穀物のささげもの、和解のいけにえ、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえ
・祭司のみがそれを行うことができた。(人が神に近づくための仲介人)

②洗盤・・・いつも水が満たされていた。きよめの象徴。
・洗って清められないと祭司は打たれて死んでしまう。

③机のパン・・・常に聖所におかれ、パンが供えられました。
・「いのちのパン」である神のひとり子イエス・キリストの象徴。

④金の燭台・・・絶えることなく光がともされ続けました。
・光は「わたしは世の光です」と言われたキリストを象徴。

⑤香壇・・・・絶えることなく祭司によって香がたかれた。
・香りは祈りの象徴。

⑥契約の箱・・・至聖所に置かれ、箱の中にはマナ、石板、杖が入っている。
・契約の箱のうえに神様は御自身の臨在をあらわされた。
・至聖所には1年に一回だけ大祭司だけが入ることができた。

これらの条件が満たされないと民は神に近づくことができなかった。


Ⅲ 箱は何処へ行った?
①神様が臨在をあらわされるあの契約の箱はどこにあるのか?
・神に近づくには「罪のためのいけにえ」「血が流される贖い」が必須。
・私達の教会には幕屋にあるべきものがどれも置かれていない。

御言葉へブル7:24~27(抜粋)
キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。
ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために
毎日いけにえをささげる必要はありません。
というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。

ヘブル9:9~12
 (モーセの幕屋では)ささげ物といけにえとがささげられますが、
それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません。
それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、新しい秩序の立てられる時まで課せられた、
からだに関する規定にすぎないからです。
しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、
言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、
永遠の贖いを成し遂げられたのです。

9:19~ モーセは、律法に従って子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。
また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。
また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。
しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所(地上の幕屋)にはいられたのではなく、
天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。

答え:「イエス様が完了させてくださったから」

②幕屋で行われていたことがキリストによって行われた。
・キリストが贖いの代価を払った。
・キリストが神と人との間にあった隔ての壁を打ち破った。
・私達は神の臨在のただ中にいる者にされた。
・今や私達も祭司であり、神の子供とされる特権を持っている。
・私達自身が神の宮とされた。
Ⅱコリ6:16
私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。
「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

・私達は毎週「罪のための生贄」をささげに教会に来るのではなく、感謝と賛美の生贄を捧げに礼拝をしにくる。

こういうわけですから、兄弟たち。
私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。ヘブル10:19
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