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礼拝メッセージ

メッセージ集 - ほふりばに向かうメシヤ

ほふりばに向かうメシヤ

カテゴリ : 
細江 和弥 牧師
メッセージ :
 2017/4/10

2017.4.9

メッセージ:細江和弥師
『ほふりばに向かうメシヤ』
(イザヤ 52章13節~53章11節)
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「ほふりばに向かうメシヤ」
(イザヤ 52章13節~53章11節)

【Ⅰ】誰も信じられないメシヤ像。 

●前代未聞のメッセージ。(ヨハネ6・42)
●歴史の背後に神の統治がある。(29・13-15)
 理由① 3節)彼は私達の病いと痛みを身に帯びておられたからである。
 理由② 4節)不幸にも「しもべ」は「神に打たれ,罰せられ,苦しめられた」に過ぎない。と誤解した。
●私達の霊的な誤解。
 ・・・十字架の苦しみとを理解しても,自分自身の罪と過ちの深さと大きさに無感覚になっている落とし穴。(ルカ23・31)
●一言も弁解されない。・・・・7節)
 理由① 私達人間の「罪と過ち」は弁解の余地なき大きさのため。
 理由② 主イエスは自発的に「私達の罪と過ち」を背負う決意をされた。
 理由③ 主イエスは「まことの救い主」まことの神の僕(神の子羊)だから。
●神の僕イエスの真骨頂。・・・・義人ヨブと苦難の僕(イエス)との違い。
 (それはなぜか?)・・・・神の僕の最大の喜びは「神のご計画」と「神のご意志」に従い,
 御心を行う事(主の望まれること)を成し遂げる事にあるからです。

【Ⅱ】神の痛みと栄光の実行。 (53・10節)

●十字架に私達は適応する。
 1)主の十字架は、私の負う十字架を逃れるためではありません。
 2)主の十字架は,「あなたの悲哀」悲しい気持ち,痛ましい気持ちは除かれるものではない。
 【重要】 ルカ23・26「シモンが主の十字架を担った二つの意味。
 その1)私達クリスチャンは,神の栄光のために召されています。
 その2)教会は主イエスの血に染まった十字架の片方を担う働きをする。
●主なる神の計画の秘密。
 1)11節)「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する」
 2)12節)苦難の僕は戦勝者に。(ピリピ2・10-11)
●主は満足し「完了した」と言われた。・・・・ヨハネ19・30)
 主イエスの信仰には「中抜き」がない。私達は小事に忠実な信仰が必要。

[摘要]
1)神のご計画によって「苦難の僕」とされたイエス様が見えましたか?
2)なぜ主イエス様は,口を開かず,弁解をされなかったのでしょう?
3)十字架上で語られた「完了した」という意味は?
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