聖書を覚えて唱える時


聖書を覚えて唱える時(詩篇)可児福音教会では2008年から暗唱聖句1か月1章に取り組んでいます。これまでに、「詩篇」「ヨハネの福音書」「コリント人への手紙第1・第2」「ピリピ人への手紙」「黙示録」などを覚えてまいりました。
これらの暗唱聖句の中から「詩篇」を、細江幸子師のコメントや証とともに冊子にまとめて発刊しております。
これから暗唱聖句に取り組んでみたい方や、2~3人の集まりの中で、セル・グループ、子供会などでも用いていただけます。

使い方はいろいろですが、通読が続かないといわれる方、聖書研究が難しいと思っている方など、あきらめずにこの冊子を開き、小さな努力をささげてみませんか?
幼子のようにただ覚えて唱えるだけで、確実にクリスチャンとしての意識が豊かに育つことでしょう。


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神戸に生まれ、G・クレメンソン師の元で献身。
関西聖書学院・児童伝道学院での学び、JEC ベタニアミッションでの奉仕の後、結婚。
細江和弥牧師と共に岐阜純福音教会での奉仕の後、可児市(当時の可児町)にて独立自給の開拓を始める。三人の子供たちを育てつつ、ベテル学習塾経営、可児福音教会牧師として伝道と教会の成長に取り組んできた。


=細江幸子師の言葉=
 私達が4年前「詩篇」を覚え始めた頃、多くの教会員は「こんなに覚えるのは無理」と思ったものでしたが、次第に、パーフェクトを得る人も増し、特に幼児までもがパーフェクトを得る事も多くなり、むしろ大人の方々が励まされてきました。月1回礼拝時に隣の人に暗唱チェックをしてもらいますが、覚えてない人にとっても御言葉にじっくりと耳を傾ける有益な時間となりました。又、完全でなくても2~3節を選んで覚える人もおられます。「聖書が遠くにあるのではなく、近くにあり、私達の口にある」事を実感し、小グループの証し会も共有の聖書箇所によって進められたり、ワーシップタイムにおけるリーダの導きが、人間の言葉ではなく皆が覚えている御言葉になり、以前より「御霊による一致の礼拝」が献げられるようになりました。
 開拓から三七年、多くの事を教え導き、その結果ある程度は結果を見、訓練されて弟子として励んでいる者もいますが、やはりこの年齢となり、今日も明日も終わりのない働きの中で、「原点に帰る事」を自分の最後の務めと定めました。私達牧師夫妻の指導力、霊力の足らなさに対しても聖霊様ご自身が、自ら、直接、教会員を教育し成長させて下さるに違いないと信じたのでした。
 4年が過ぎ、現在は「ピリピ書」を共に覚えています。交わりの中でも、聖言が自然に出てきたり、祈っていると、その当時何とも思わなかった聖言に「光」があたって「今までにない」意味を持って臨んできたりします。そして何よりも、やはり、自らの言葉より聖言そのものの中に、人の心を動かす力があり、サタンに対抗する力としても大いに有効であると感じています。「注解」がなくても、日々朗々と唱えていると、とりなすべき人の顔が浮かんできたり、問題解決の糸口が与えられたりして、良い祈りの時となったりします。
 とにもかくにも、これは、教えたり出来る事ではなく、やって見る人のみが体験できる事なのです。重要なのは、互いに励まし合う人がいる事そして継続する事です。私達クリスチャンは、「信じて初めて見えてくる」体験を通ってきましたから、このような事が可能なのかもしれません。
 私は、昔は小旅行でも、聖言は必ず持参していましたが、今は、過去に覚えたものを全部反復出来るよい機会にしています。駅や、美容院、病院の待合室、暇さえあればどこでもすぐ小声で唱えられます。もちろん散歩中にも、風呂の中でも、朝に夕に唱えれば、主と会話している気持ちになります。頑張って熱心に祈り、通読している人と同じように、あるいはそれ以上に主の恵みが大いに降り注ぐ事と思います。
 聖書全部を知らなくても、知っている聖言を反復することは、丁度、幼い子が限られた言葉をもって両親や人々と幸せに生活するようなものですから、子供は、国語力アップにつながり、年輩方の脳は活性化する事間違いないでしょう。
 長い人生、主と共に生かされてまいりましたが、つくづく「なくてならないものは多くはない、ただ一つのみ」と思うこの頃です。どうぞ皆様の上に豊かな主が惜しみな恵みをくださいますように心よりお祈りいたします。
 もしあなたが、「聖書を覚え、唱える時」に興味を持ってくださったなら、私はわくわくするような喜びを感じることでしょう。